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自己肯定感と承認欲求

どうして自己肯定感が低いと良くないのか。

分かってきました。

巷には人の粗探しする人が何故多いのかも。

人の粗探しする人は、認められたい。

会社に入ってよく分かりました。

まず、学校教育が「間違え探し」&「出来ないことを出来るようにする」ことを幼い頃から教え込まれます。

モンテッソーリの教育が何故良いのか。

もこれに通じました。

まずはここから変更するのが良いのでしょう。

人はそれぞれ、得意、不得意を持っていて

それを補うようになっている。

それが神様、宇宙が私達に出した課題。

人が助け合うことの大切さに気付くようにと、
神様は不完全に人を作った。

だから得意なことをどんどん伸ばす教育が良いし、人は出来ないことを出来るように頑張る
のではなく、人に頼ったり任せたり出来るようになることを教える。

出来ない所に注目して
あれが駄目、これが駄目、あれが出来ない、これが出来ない…駄目ね…と言うのではなくて

これが出来たね、あれも出来るね

というプラスの教育にしていく。

勿論、失敗から沢山学べるけれど、そこから
立ち直る力が大事で
それは「レジリエンス」と言うらしい。

この、レジリエンス教育

ある療育現場で行うとされていますが、
これはなにも発達障害を持つ子どもだけじゃなくていいと思う。

発達障害…というくくりで全ての物事を見てしまうとどうしても「偏った見方」をしてしまって

「特性に当てはめて」しまうのはどうなのか。

あれ、自己肯定感と承認欲求の話題からそれてしまいました。

だから会社でも「人の粗探しではなく良い面」を見るようにしていくとその人の「捉え方」が変わるから、「自分」を変えることが出来る。

だから常に「人や相手を変える」のではなく
「自分を変える」という意識と
「自分のミスに気付く」ようにしなければならない。

それが、出来るようになれば、とても良い組織になるはず。

なのに何故か人は人の粗探しをし合う。

注意されると不快な気持ちになる。

注意の仕方にもよるのでしょう。

なるべくは叱らない…教育が良い。

駄目なことを叱るのではなく
駄目なことは無視して

良い行動に注目する。

承認欲求はどうするのか…というと、やはり
自分で自分を内省する。
とことん内省する。

人の意見には「そんな意見もあるね」と聞き流すなではなく一旦横に置いて、忘れずにいて
そこは言われた通りなのか、どうかなと後で吟味すれば良い。
他人の成長を信じて待つ。子どもの成長を待つ。自分の力で気付ける時が来ると相手を信じることが出来ればイチイチ注意しなくても良い。

だいたい、人に注意する人というのは
たいていどうでも良いことを言ってきたり
自分の問題をも他人のせいにしがちな人に多いので。
いつでも「自分が出来たことは何か」に注目したら成長する。

人を変える前に
自分を変える努力をしよう。

そう思っています。