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100分de名著9月ウェイリー版源氏物語を見て~「残念」の鎮魂

毎月1冊の本を取り上げ、4回にわたって各25分で解説をする番組。気に入った本や作者の時、録画してみています。
今回はイギリスの東洋学者アーサー・ウェイリー(1889-1966)が、英訳した源氏物語を、さらに日本語訳したものがある、とのこと。そもそもこの名前を聞いて、とても名前が似ているウエイト=スミスタロットの作者、アーサー・エドワード・ウエイト(1857-1942)を思わずにいられず、またウェイリーもウエイト同様、大英博物館で働いていたということで、多少年代が違うものの、ロンドン付近で同時代に生きていたことには変わらず、何かウェイリー惹かれ、録画して番組を見みてみた。
さらに安田登氏は平家物語やその他の解説でもとてもわかりやすく、好きなので楽しみにしていた。

古典は苦手だったので、源氏物語もあまり好きではなかったが、漫画「あさきゆめみし」のおかげで源氏物語の全貌はおおよそ把握できていたが、改めて翻訳の翻訳という形のものを見ると、とてもわかりやすくなっていて(敬語を一切省き、主語を明確化)面白かった。

特に第三回、六条御息所の話のところ。ウェイリーの時代は、フロイトが無意識や夢分析を発表した時代にも重なる。この源氏物語のなかの亡霊、物の怪は、紫式部は心の闇のようなものではないかと感じていたとのこと。ウェイリーは源氏物語の中にフロイトのいう無意識の概念を読み取り、それを表現したのではないか?という話だった。だから現代人にもよりわかりやすくなっている。紫式部の先見の明なのか、そもそも当時の日本人が見えない世界を、それこそ無意識に理解していたのか。

ぼくは源氏物語の中で六条御息所の話が一番恐ろしく、残酷なシーンだが引き込まれる場面として記憶に残っていたので、フロイトと繋げてもらい、より理解ができた。理性ではそんなことをしてはいけないと思いつつ、無意識の嫉妬という情動により、葵上を呪い殺してしまうという。恋と嫉妬の恐ろしさを垣間見た。

ちなみに恋とは、「乞う」ことなのだそう。恋とは落ちるものと言うが、どこに落ちるかというと、渇愛=渇望する、激しく欲する、愛への飢えの状態に落ちるようなものとも言える。仏教では何であれ飢えに苦しむものを餓鬼(六道の餓鬼界に住む)という。だからこそ、渇愛が決して満たされないと分かると、飢えと嫉妬に狂い、鬼=物の怪となってしまう。恋とはかくも恐ろしいこと。人間界から下の世界に落ちてしまう可能性を孕むのだから。もちろんそれでとてつもない幸せを味わう可能性も孕む。しかしそれは飢えと常に隣り合わせでもある。

安田氏が「忘れてしまっている昔の感情とか、時間がたってもなくならない、下手すると死んでもなくならない感情のことを残念という。念を残す。この「残念」を鎮魂するのが能である」とおっしゃったのが印象的。

カルマの鎮魂を能がしていたのかと思うと感慨深い。平家物語では平家の鎮魂をしていた。この「残念」がカルマとなり、インナーチャイルドとなって、次の肉体へ輪廻へと向かわせる。どこかで鎮魂し、念を解きほぐし、霊を慰め、鎮めなくてはいけない。源氏物語当時はそれを祈祷師である僧侶が執り行っていた。

現代では、さまざまな癒しの方法、鎮魂の方法があるけれど、今、個人的にはフラワーエッセンスに興味を持っている。フラワーエッセンスのセッションを現在準備中。来月、またこちらでもお知らせします。


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