『未完成』
●序文
私は本質的に人間が好きでは無いのかもしれない。人生の節々でこの事を実感する。何故って疲れるからだ。
私は持病により人一倍休息を必要とする為、体力(活動時間)も金銭も余裕は無い。だから自分の本当に好きなことにしかリソースを割くことが出来ない。この事が人嫌いなのではないかという思いに拍車をかける。
私は自分の性格を説明するときに「全員に冷たい」と説明する。何故なら、申し訳ないが知人をランク付けしているからである。とはいっても明確に第1位、2位、3位と決めている訳では無く、家族、パートナー、大事な友人、友人、知人…といったようにおおまかに感覚的に捉えている。
玉ねぎのようなものを想像してみよう。芯=自分、家族、パートナーのようなものがあり、次の層には親しい友人、次の層には友人、次の層には知人といった階層的な捉え方をしており、そこには優先順位が存在する。
再度申し上げるが、私には持病があり人付き合いが可能なキャパシティが狭い。その枠は変えれない。だから本当に好きなことしか出来ない。狭小な人間なのである。
●第2回公開交換日記6記事目
と、出だしを書いてみましたがさいとうさん(@saito_desu_maru)との公開交換日記の全10記事中6記事目となります。
前回のさいとうさんの記事では、私とのやり取りの中での気付きを取り上げていました。
さいとうさんとは普段色々なことを話しているのですが、コミュニケーションについての話をすることもあり、考えを述べたり考えさせられたりすることがあります。意見が異なる事も多いですが、その分共通の部分も多かったりと色々な発見があります。
さいとうさんが踏み込んだ内容を書いていたので当記事も少し踏み込んでみましょう。
●我只知足
さいとうさんの気付きについては前回の記事をご覧頂ければと思いますが、私自身の気付きとしては、
「大事な人、身近な人をちゃんと大切に出来ているか?」
というテーマに直面しました。序文で触れた通り私は交友関係を玉ねぎ型で捉えており、大事な人、身近な人とは芯もしくは芯に近い人を指します。
そしてそのテーマに対する答えは否であろうと思ったのです。
本来、大切にする人を自然体という名の下に乱雑に扱っているのではないかという疑念でした。親しき仲にも礼儀あり、を信条としてきたつもりでしたが、本当に「つもり」だったのではないかと思います。
私はかつて競争社会を是とした人間であり、人一倍負けず嫌いでした。が、如何せん能力が無かったのです。行き過ぎた負けず嫌いは暴走し、ただの攻撃性となって残ってしまったのでした。
その攻撃性が言葉の刃となってさいとうさんを苦しめている事実がありました。一番大切にすべき人を傷付けた事実は跳ね返って私の胸を切り裂いたのです。
この「大事な人、身近な人を大切に出来ているか?」というテーマは現在進行形であって、今現在も私自身の課題となっています。少なくとももう少し謙虚に耳を傾け、丁寧な物言いを心掛けたいと思っています。
今後の言動に変化をもたらすことは人間的な成長に繋がるし、自分自身としても必要なことです。
まだまだ未熟な部分も多いのですが今後のやり取りを経てお互いの理解を深めていければいいな、と考えています。それに、変化だけでなく受け入れることが大事になるかとも思います。
●結び
前回、今回は1人でも書ける内容では無く、交換日記らしく私とさいとうさんのやり取りの中で生まれたもの、2人だから書けるものを書こうという意図があったと思われます。また私自身はそのつもりで書いております。
自分語りに終始しましたが、その辺りを汲んで頂けますと幸いです。
それではさいとうさんにバトンを渡したいと思います。
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