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変化と容認

 自分の傷を見せるという行為はパンクだと思っている。ロックのアティテュードとしてのパンクである。ちなみにここでいう「傷」とは物理的なものでは無く、精神的なものをいう。そしてその手法は一般の社会においては歓迎されないことも私は知っている。生産性が無く嫌悪感を生み出すこともあるからだ。にも関わらずインターネット上には吐露のような言葉が流れ、それに対し共感の声が上がったりするのは一定の効果があるからだとも思う。
 こうしてnoteに内省的なやり取りを記事にすることにも多少の意味はあるのかもしれない。別に破壊衝動に突き動かされて書いている訳では無く、それなりの承認欲求と、自分なりの文章を書いてみたいというちっぽけな気持ちがあるだけだ。

●第2回公開交換日記8記事目

 ということではじまりました。さいとうさん(@saito_desu_maru)との第2回公開交換日記全10記事中の8記事目です。生活の楽しみ方から自身の考え方まで色々な角度から書いてみましたがもう8記事目なんですね。
 2人のやり取りから生み出されたものにしたいという裏テーマから気付きということで思考の話題になっております。そんなさいとうさんの前回の記事はこちら。

私は常に、両極端なポジティブ思考とネガティブ思考を感情の中に共存させています。

 0 or 100思考をしてしまう極端な部分を改善してみたいというお話でした。「人間が大好きで大嫌い」という言葉が印象的でしたが、対人評価が激しく揺れ動く中で生きることは大変でしょうし、また人物像の統合が出来ないとなかなか理解も進まない部分もあるのかもしれません。
 こういった内省的な記事が続き「自分の変えたいところ」といった話題が続いているので、角度を変えて「容認」をテーマにしてみましょうか。
 変化すること、と同じくらい認め許容することも大事なはずです。

●自分を容認する、ということについて 

 「容認」という言葉を検索すると「ゆるして認めること」(『精選版 日本国語大辞典』)という意味を持つ言葉であることが分かります。
 自分自身をゆるして認めることってなかなか難しいですよね。私だけかな?認めることは出来てもゆるすことまでは難しかったりする。そもそも変化し改善していくこと、つまり成長することと相反するニュアンスを含むような気がするのです。その思考の根源には変化し改善を続けていくことを是とする、ということがあるのですが、停滞、限界…そんなイメージが頭にチラついてしまうのです。決して容認=諦めでは無いことは分かっているのですが。
 でも容認が全く出来ないと自分自身のやっていることや考えていることが辛くなってしまいますよね。これではバランスを崩してしまうと思うのです。
 それに自分自身を容認出来なければ、他者理解なんて進むはずが無く、ただ他人に当たりのキツいだけの人になってしまいます。   
 じゃあ自分を容認するコツってなんだろう。他人の場合は分かりませんが、自分の場合こんなのがあったよってのを3つ挙げてみよう。

・自分の強みを知る(無理矢理にでも絞り出す)
・多様な価値観に触れる
・他者評価に依存しない

 パッと思い付くのはこれかなぁ。まあ専門家では無いので詳細は省きますが正確なやり方は心理学にでも基づいた方法を探して読んで頂ければと思います。
 まあ何が言いたいかというと、変化ばかり求めていても疲れて長続きしないというお話でした。それは自分自身もそうだし人間関係もそうではないかと思うのです。バランスプレイヤーからの提言でした。

 次の記事でさいとうさんとのラストです。果たしてどういう記事になるのでしょうか。




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