35年間、好きな事を続けるDJ TAC(52歳)①~転機とリスク~
今回のインタビューは確実に私にとってのトランジション(転機)となりました。
トランジション~小ネタ~
私が勉強しているキャリア心理学の世界でトランジションの内訳はこのように言われています。
臨床心理学者のウィリアム・ブリッジズによると「トランジション(転機)」は次の3段階として表すことができる。
「始まり(何かが始まる)」
↓
「終わり(何かが終わる)」
↓
「ニュートラル・ゾーン」
ニュートラル・ゾーンの最中は、自分の内面と丁寧にしっかりと向き合うことでトランジション(転機)を乗り越えられるという。
期間としては2-3か月のことでものすごく短いのですが、DJ TAC(呼称:TACさん)というプロフェッショナルに出会い、まさに私はこれを経験しました。
インタビュー終了後は巨大で壮大で深い何かに飲み込まれて、何もできずにただただ、立ちすくんでいるような感覚があったのです。
5月にインタビューをさせてもらってから8月になるまで私はほとんど筆が進みませんでした。この状況を受け止めたくてもできず、自分に何が起こっているのか全く理解できずに。
その2か月がニュートラルゾーンだったと思っています。
考えると言い訳ばかり思いつくのですが、ここは素直に自分の心の動きを認めようと思います。
まず、最初に私がしたこととしては、SNSやブログなどで発信することが好きな友人に話を聞きに行ってみたことです。同じような経験をしたことがないか共感して欲しくて会いに行ったとも言えます。
「実は、横浜のレジェンド級のDJの方にインタビューをすることになり、実際に話してみたけれど・・・。どう書いていいか分からない。私はこれを趣味としてつづけるべき?」
「自分が思うままに、感じたままに書いてみたら?私はあなたの感性や感覚をもっと表現してほいと思う」
思い返すとこれはTACさんも言っていたことでした。
「伝書鳩になってはいけない。自分の色眼鏡でそのフィルターで書いていいのだと。それがライターの個性だから。」
手探りの状態ですが、ひとつだけ間違いなく言えることは、私にしか感じられないことを書くことが1番大切なのだと。
紙媒体のリスクと難しさ
今回のインタビューの冒頭でTACさんは紙媒体が孕むリスクと課題について触れました。
私が生まれる前からDJをやっているので、大きな世代間GAPが弊害となり、私がTACさんから一方的に聞いた話をそのまま文章にすると偏ったものになってしまうのではないか。
頭ごなしにそのまま受け取ってもらって書いても、面白い記事になるのだろうか、という懸念を話してくださいました。
過去に何度もこういう企画を受けたことが山ほどあるTACさんだからこその視点でした。
私たち30代は、物心ついた頃からある程度の音楽のジャンルが確立し、身近にあった世代です。現在、50代のTACさんの育った時代とは明らかな違いがあります。
今では特にこのコロナ禍で動画サービスが主流なコンテンツとなり、知らない世界を追体験するのが簡単な世の中になっています。
そんな中で私たちライターは紙媒体の表現者としてどうやってそれと同じようなクオリティで実体験を表現していくのか。
人の数だけバックグラウンドがあります。
「昔はこうだったんだよね」と語るのは簡単。ただ、それを理解させるのが難しいとTACさんは言います。
実際にその場で見ていないことを本当の意味で追体験するのはとても難しいと。
DJという分野ではなく、今回の記事一つに対しても存在するプロフェッショナルな姿勢と考えが、私の思考レベルを遥かに越えていました。
そして、私がまだ見えていなかった視点からの新しい景色を見せてくれました。
これもインタビューの醍醐味なのかもしれません。
それと同時に否応なしにあれもこれも詰め込まれ、頭でっかちになりがちな情報化社会の本質的な課題をまざまざと突きつけられた感覚もありました。
生身のカルチャー
クラブでも言えることかもしれませんが、TACさんがディスコDJとしてプレイをしていた時代には、ディスコでしか聞けない特別な音楽がありました。
そしてディスコというのは「その時」にしか味わえない何かが必ずあり、毎日違う人たちが集まって、毎日違うことが起きる場所。
複数の場所において同時進行で様々なカルチャーが生まれていた。そんな時代です。
TACさんがDJとして思うのは、そのカルチャーには現場に遊びに行かなければ触れられないし、何も分からないということ。
「百聞は一見にしかず。」
擬似体験やバーチャルリアリティが当たり前になりつつある3次元、4次元の世界。
そこでは味わえない生身のカルチャーという存在。
そのような視点を持って私がニュートラル・ゾーンで得た大切なこと。
それは、こういう世界だからこそ、動画や画像のような一方的に与えられるコンテンツではなく、読み手の方々に問いや疑問を生ませるような文章を書くということがいかに大切かを思い知ったのです。
そして、それを私は追い求めたいのだということでした。
私の文章を読む人に新しい視点を与えることがしたいのだと。
<つづく>