思い出に縋って生きること
引越しを控えて絶賛断捨離中。
転居先の方が狭いしあまり気に入っていない部屋だからこそ、居心地の良さを追求したい。
とにかく物が多すぎる。手放して手放して、すっきりした家にしたい。
捨てられない人間にしては、かなり捨てた。
しっくり来ないけどデザインが好きな服、マジでなんで置いてるかわからない中学の卒業証書、使えなかった便利グッズ、昔書いていたポエム集(黒歴史すぎ)。
でもまだまだ減らさなきゃいけない。
1番着手したくなかった棚には、大学時代からずっとつけている日記帳。
不揃いなノートが20冊ほどある。
ザ・日記だ。noteに書くようなエッセイ的なものでもない、ただ出来事を羅列しただけの内容。
でもそこには恋人(今の夫)とデートした日のことも、喧嘩したことも、バイト先の人間関係にもみくちゃにされたことも、軽音部で青春しまくった日々も、大切な親友からもらった言葉も、大好きな祖父と暮らしたことも、全部書いてある。
今見るには眩しすぎるくらいにありのまま書いてある。
書くことで記憶にも刻める、忘れてしまったことも思い出せる、と思ってずっと書いていたけど、読み返す頻度は減っている。
でも、捨てる勇気が出ない。
捨てたら後悔しそうで。
思い出に縋りついて生きている。
定期的に写真を見返して、LINEを読み返して、同じタイプの友達と思い出を掘り返して、
そうやって今を生きている。
それがなきゃ人生もっとしんどい気がしている。
でも私の尊敬する人たちは、「今」を生きている。
過去は振り返らない。今の連続でしかない、と言う。
でも彼らにも、何か軸になる思い出があるような気がしている。
あえて振り返ることはしなくても。
そんな生き方を今からでもできるだろうか。
思い出は心の片隅に置いて今を生きること。
日記帳なんて物に執着しない生き方。
そしてたまに会う旧友と会う時だけ、昔に思いを馳せるような。
記憶を呼び起こすためのアイテムなだけで、
日記帳を捨てたら思い出がなくなるわけではないんだから。
せめて、残すとしても数冊にしよう(結局捨てきれない)。