アンティーク・レースを見る眼
私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。
『 コレクションへの入手の判断 』
ー ポワン・ド・ヴニーズまたは《 ヴェネツィアン 》
私は以前SNSのmixiが流行していたときにAntique Laceのコミュニティを主宰し、そのなかでさまざまなレースについてコラムのようなトピックスを投稿しておりました。
当時の私は今よりも古いレースに触れる機会も少なく、またコレクションのレースもそれほど多くはなかったことと若書きのためそれらは不完全なものでした。
しかし、未だにご覧頂いていた方からメッセージを頂戴したりとそれは私にとってとても良い経験となりました。
今回は、そのころに執筆させていただいたトピックスのような形式で、私の至って個人的なものではありますがアンティークレースに対する考えや思いを語る場としてレース・コラムを記事として投稿させていただきました。
私はプロのアンティーク・ディーラーではなく、またレースの研究者でもありません。しかし、そのなかでレースを見る眼というものを養い育んできたのだと思います。
それは個人的な趣味である蒐集を重ねるなかでは資金繰りをはじめとするさまざまな制約もあり、コレクションに加えるべきかを常に吟味せざるを得なかったという事情からでした。
その結果、レースを入手する際に判断の基準のようなものを私は設けるようになりました。
そのような私の個人的な基準のなかで、今回はヴェネツィア・ニードルレースについてお話ししたいと思います。
ー 判断の基準
私がレースを入手するにあたり最も大切にしていることは、いかにデザインが美しいかということです。仕事柄、デザインのバランスはとても気になるところでもあるんですね。
それともうひとつ重要視しているのが、そのレースが緻密なステッチで製作されているかということになります。
それはレースの種類などは関係なく、レア度などの希少性よりも私のなかで最重要のポイントとなっています。
しかしヴェネツィアのニードルレースに関しては蒐集の中で発見したひとつの面白い共通点があります。それらが今では私のなかで質の良いレースを判別する際に重きをなすようになりました。
ヴェネツィア・ニードルレースのリング装飾
ー イチジクの輪切りのような装飾
ヴェネツィア・ニードルレースのモチーフにはよく見られる小さなリング状の装飾レリーフがあります。
この装飾は通常リングの外側にピコット飾りが放射状に施されているものが多いのです。
しかし私の所有するヴェネツィア・ニードルレースのうち、4点のみが画像のようにレリーフの内側にピコット飾りが施されています。
それらはまるでイチジクの実を輪切りにしたように見えます。
これらのレースが製作された17世紀後期の当時、ニードルレースの多くはいわゆるピエス・ラポルテ ( 組み立て )の技法により製作されていました。
複数の職人がいくつかに分けられたパートをそれぞれで製作し、最後に繋ぎ合わせて完成させたためにひとつの作品のなかに技術力やステッチの相違が見られるのです。
そしてこの内側にピコットが施されたリング・レリーフは私の所有する作例では最も小さいもので直径僅か3mmほど、大きめなモチーフのグロ・ポワンでも4mmから8mm程度と非常に小さなサイズなのです。
これらのレリーフのステッチは驚くほど緻密にされているため、高度な技術を要したであろうために全てのパートにおいて施されているのではなくある一部でしか見られません。
また、この特殊なリング・レリーフは私の所有するヴェネツィア・ニードルレースの中でも殊にデザイン性に優れ精緻で高度なテクニックにより製作されたものにのみ見られます。
このことから私はヴェネツィア・ニードルレースを見るポイントのひとつとして、この内側にピコット飾りがあるリング・レリーフを重要視しているのです。
それらが質の良いヴェネツィア・ニードルレースを見分けるポイントのひとつとなっています。
スダン・レースとの関連性
ー ポワン・ド・スダンの装飾
実は、このイチジクの輪切りのようなリング・レリーフはヴェネツィア・ニードルレースにのみ施されたものではないんです。
これは質の良いニードルレースがどのように生産されたかにも関わることなのですが、ヴェネツィア・ニードルレースにもこの装飾レリーフを見つけるのは難しくなかなか出会えないレア・アイテムでもあるんですね。
私の所有するニードルレースは全て1680年代ごろに製作されたものなのですが、1700年ごろのポワン・ド・フランスや18世紀前期のポワン・ド・スダンと呼ばれるニードルレースにも稀にこのイチジクの輪切りは見られるんです。
スダンのニードルレースはアルデンヌ地方のスダンの街で作られたと解説しているものをよく見かけますが、実は詳しくはよくわかっていないんですね。
その辺の話は私が以前記事にしていますので、そちらを参照していただくと嬉しいです。
イギリスのレース研究家のサンティナ・リーヴィー女史はスダンのレースはスダンではなくブリュッセル周辺地域で製作された可能性を示唆されています。
また、この内側にピコットのあるリング・レリーフはイタリアで製作されたと思われるヴェネツィア・レースには見られません。そして17世紀半ば以前にも見られないのです。
この装飾ステッチはフランスで考案されて、おそらくですが1685年の【 ナントの勅令 】の廃止後にフランス国外に流出したユグノーによって他地域のレース産業へと伝播したことが考えられるんです。
アンティークレースはわかっていないことも多く、また製作者側の一次資料も少ないのでなかなか深く研究される機会がありません。
海外では幾人かの努力で綿密に調査された文献も存在しますが、これらは日本ではあまり内容が知られていないのは残念です。
蒐集を通じて実際のレースのステッチの様式やデザイン、装飾の特徴的な相違で気づくことや疑問に思うことは多いのです。
そこから調査や研究を重ねるとより知識を深めることに繋がり、それは次への蒐集の糧となると私は思っているのです。
おわり