労働者から残業代の支払いを請求されたら 否認or抗弁
会社の経営担当者や人事担当者だったら、ひょっとしたら退職した労働者からの残業代の支払いを求めるお手紙を受け取った経験があるかもしれません。
こういったお手紙を受け取った場合、労働者からの請求のすべてに応じる場合を除いては、会社として何らかの反論をして、支払いを拒否するか、一部の支払いには応じるとしても労働者の請求のすべてには応じられないといった回答になるでしょう。会社の対応として一番良くないのは労働者のお手紙を無視して何らの回答もしないことです。回答をせずにいると、後日、労働者が、労働基準監督署に労基法違反の疑義があるとして申告して、それを受けて労働基準監督官が会社にやってきて調査を受ける羽目になったり、民事訴訟を提起して裁判所から訴状が送達されたりする事態を招きます。
さて、労働者からの残業代の支払いを求めるお手紙を受け取って会社として反論を試みる場合、法的には大きく二つの反論の仕方が考えられます。一つは労働者の残業代の計算の根拠となっている事項、特に労働時間について否認すること、もう一つは、労働者の残業をしたということについては認めつつも、でも残業代の支払い義務はありませんという抗弁をすることです。
まず、否認について。労働者が残業代の支払いを会社に求める場合、一義的には労働者の側にて、残業時間を集計してこれに残業した場合の1時間当たりの賃金単価(通常の1時間当たりの賃金の1.25倍~)を乗じて未払いの残業代の総額を計算する必要があります。したがってまずは労働者にて何時間の残業があったのかということについて何らかの根拠に基づいて、会社に対して主張しなければなりません。
これに対して会社は、労働者の主張する残業時間は会社が把握している残業時間と異なるという場合には、「あなたの主張している残業時間は会社が把握している残業時間と異なるよ。」という回答をすることになります。こういった反論を、民事訴訟上では「否認」といいます。例えば裁判での訴状に対する答弁書等で請求原因に対する認否で否認をする場合、「原告の労働時間に関する主張部分については否認する。」というような記述をしたりします。
もっとも、会社が労働者の主張する残業時間を否認する場合、単に否認するとするだけでは不十分です。労基法上、会社(使用者)には労働者の賃金計算のために労働者ごとに労働時間を管理してその記録を残すことが義務付けられています(ちなみに、労働安全衛生法上も会社には労働者の時間管理が義務付けられていますが、これは労働者の長時間の過重労働により労働者が脳疾患や心臓疾患或いは精神障害といった労災にあうことを防止するという、健康管理上の目的からです。)。したがって、会社が労働者の主張する残業時間を否認する場合には、会社にてタイムカード等により把握している残業時間を積極的に主張しなければなりません。もちろん、こういった場合にはタイムカード等を証拠として裁判所に提出して会社が把握している残業時間を立証する必要があります。このように証拠を提出して否認することを「積極否認」といったりします。会社が、労働者の労働時間について記録に残していない場合には、労基法違反ということになり、民事訴訟を提起されている場合には裁判でも労働者の残業時間の主張に対して会社が主張する労働者の労働時間を立証できないということになり、結局敗訴するか、労働者の主張に沿った形での裁判上の和解となってしまいます。
次に、抗弁。抗弁は、民事訴訟に関する専門書などでは「請求原因と異なり、かつ、請求原因と両立する具体的事実(要件事実)であって、請求原因から発生する法律効果を排斥できるもの」(山口幸雄、三代川三千代、難波孝一編「労働事件審理ノート[第3版]判例タイムズ社3㌻)などと説明されています。もっともフツーの人はこの字面だけを読んでもさっぱり何のことかわからないと思いますので、残業代に関する抗弁の例を挙げて説明したいと思います。
例えば、労働者が退職する前の2年間に亘り毎月80時間残業していたのでこれに対する残業代を支払えと求めてきているとします。しかし会社としては、この労働者は労基法第41条2号にいう管理監督者だったので、労働時間・休憩・休日の適用除外だから残業代を支払う義務がないという反論(答弁)をして残業代の支払いを拒否するとします。この場合、会社としては「あなたの主張する毎月80時間程度の残業はあったことは認めるけれども、でもあなたは労基法第41条2号で定める管理監督者だったから、労働時間・休憩・休日は適用除外なので、残業代を支払う義務はないよ。」という主張をすることになり、これが抗弁ということになります。請求原因と両立する事実は毎月80時間程度の残業時間があったこと、請求原因と異なる事実は労働者が管理監督者だったこと、これにより請求原因が排斥されることになります。尤もここでの抗弁は、厳密にいえば、管理監督者だということが具体的事実ではありません。管理監督者というのは事実ではなく、ある事実から導き出された評価です。管理監督者を根拠付ける事実が抗弁を基礎付ける事実ということになります。したがって、会社は単に「管理監督者」という一言で片づけるだけでは済まされず、管理監督者と評価できる具体的事実、例えば、経営者と一体的な立場で経営に参画していたとか、労働者の採用や退職等に関して広範な人事権を有していたとか、出退勤や休憩・休日に関して当該労働者の裁量に任せていた、あるいは賃金について他の一般の労働者よりも相当優遇されていた、等の事実を主張して必要に応じて立証しなければなりません。抗弁は、抗弁する側に主張立証責任があります。
抗弁は、管理監督者のほか、いくつかのケースが考えられます。
例えば、時効を援用する場合です。2020年3月までの労基法第115条では時効を2年と規定していました(2020年4月以降は、時効は当分の間3年と改定されています)。時効の抗弁の考え方は、「確かにあなたは毎月80時間程度残業していたようですが、それは2年よりも前のことですから、時効ですので、会社に賃金を支払う義務がありません。」ということです。
また、定額残業代の支払いも抗弁に当たります。考え方は、「確かにあなたは毎月80時間程度残業をしていたけれども、これに対する残業代は基本給に含めて支払済みです。」ということです。
労働者側としては、会社の抗弁の主張が認められてしまうと、請求原因が排斥され、敗訴してしましますので、抗弁に対する反論をしなければなりません。抗弁に対する反論ということは抗弁に対する抗弁ということになります。これを再抗弁といいます。労働者の再抗弁が通って会社の抗弁が排斥されると、労働者の請求原因が認められることとなり、会社は労働者に対して残業代を支払えといった判決がなされることになります。
例えば、会社の管理監督者の抗弁に対しては、労働者側で、確かに経営会議等には参加していたが経営計画を立案することは許されていなかったとか、確かに相応の給料は支払ってもらっていたが会社内の平の社員が80時間残業した場合に支払ってもらえる残業代と基本給の合計額とで比較すると平の社員の1か月の賃金の方が多くなるといったような主張をして必要に応じて立証することで再抗弁できます。
同様に時効の抗弁に対しては、2年の消滅時効にかかる前に、社長が残業代の支払いを求めている労働者に対して、残業代については支払うといって賃金債務を承認しているというような主張が再抗弁になります。
定額残業代(基本給に含めて支払済み)の抗弁に対しては、基本給の部分と残業代の部分とが明確に区分できないとか、80時間分の定額残業代は予定されている残業時間が長時間過ぎ公序良俗に反する、といった主張などが再抗弁として考えられます。
残業代の不払い等賃金不払いに関する紛争は労働紛争の中で最も多いものです。会社の使用者は、もちろん未払いの残業代等を発生させないよう労働時間を管理しなければなりませんが、万が一労働者から会社に対する残業代などの支払いを求めるお手紙を受け取った場合には、どういう反論をするのか考えなければなりません。ここで、考える、というのは、万が一訴訟に至った場合には、会社として労働者の請求に対してどう反論するのか、労働者の請求に対して積極否認するのか、抗弁するのか、抗弁した場合に労働者がどういった再抗弁をしてくることが予想されるのか、といったことを先読みしながら、まだ訴訟や労基署への申告には至っていない段階で、そういった視点から当該労働者のこれまでの経緯等を整理しつつ検討しなければならないということです。
文責 社会保険労務士おくむらおふぃす 奥村隆信
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