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メルマガコラムアーカイブスvol.1「8月11日 圓朝忌によせて~引用の織物と著作権」(2017年8月6日配信記事)

朗読パンダの大塩です。
団体で不定期に配信しているメールマガジンでは、これまで約50本ほどの演劇に関するコラムを掲載してきました。
この度、note開設にあたり、過去のコラムの中から、時事問題等に影響されず再読に耐え得るものをいくつか選び、再掲することにしました。
再掲1本目は、2017年8月6日配信記事「8月11日 圓朝忌によせて」です。
前回のnote開設第一弾が「アントニオ猪木一周忌に寄せて」でしたから、何やらお弔いコラム集のようですが、亡き人に哀悼の意を捧げ、鎮魂を願うことは、日本の演劇の原型=能からの伝統です。また、来る2024年8月の、まさに圓朝忌を含む10~12日に弊団は、『完全新版 VSR 牡丹灯籠~全段通し』を上演します。
正直に申しまして、このコラムを執筆したときは、翌2018年に『牡丹灯籠』を初演し、そこから2024年まで続く連続ものになるなど、予想だにしておりませんでした。
そう思うと、17年の時点でこのコラムを書いていたことに、不思議な縁を感じます。
というわけで、6年前の文章です。当時の思いがなるべくそのまま再現されるよう、外題にサブタイトルを付記したことと、助詞や読点等の細かな字句訂正以外、手を入れていません。


こんにちは。座付き作家の大塩です。

ちょっとご無沙汰致しました。久々のコラムですが、話の方は相変わらずでございまして、コラムに出てくる人物というと、八っつぁんに熊さん、横丁のご隠居、馬鹿で与太郎、人のいいのが甚兵衛さんと。こういった連中が出て参りますと、コラムの方の幕開きと相場が決まっているようでして……

八「こんちはー、こんちはー」

隠「おや、八っつぁんじゃないか、こっちへお上がり。どうしたんだい。
ここんとこ、鼻っ先見せなかったじゃないか」

八「いやぁ、人間いつどこで何があるかわかりませんね。こないだうちの大家が来ましてね」

隠「ちょっと待て、八っつぁん。お前、そのまま「だくだく」あたりに入るつもりじゃないだろうな」

八「あ、バレましたか。いけませんかね、たまには古典落語でお茶を濁すっての」

隠「駄目だな。たしかに「だくだく」なら著作権には引っかからないが、これは朗読パンダのコラムだ。ちゃんと自分の根多で勝負しなさい」

八「そうはおっしゃいますがね、これはこれで大変なんですよ。新作こしらてるのと同じですから」

隠「何だ?」

八「だから、毎回毎回コラムで新作落語台本なんか作れるかってんだ!!!!!」

隠「誰にキレてるんだ。今のは何だ?」

八「魂の叫びです」

隠「ま、だいたいお前が頻繁に来られない理由はわかった。それで、今日はどうしたんだ」

八「ええ、今日はね、隠居に聞きたいことがありましてね」

隠「そうかい。何でも聞くといい。私は知らないということを知らないくらいだ。あ、あれだろ、なんで首長鳥を鶴というようになったかってことか」

八「それこそ古典そのままじゃないですか! 話が進まないでしょう!」

隠「まぁまぁそう怒るな。今のは挑発だ。これ読んで「?」となった役者でどれだけの人間が「首長鳥」「つる」で調べて勉強するか試してるんだ。役者でも何でも勉強しない奴は駄目だ。わからなかったら調べる。調べりゃすぐわかることなんだ。ま、いわば私なりの教育的配慮だな」

八「偉そうな配慮ですね」

隠「じじいだからな。で、何だい?」

八「もうすぐ8月11日、圓朝師匠の命日じゃないですか」

隠「八っつぁん。無理があり過ぎるぞ。話とキャラクターが乖離し過ぎだ」

八「いいじゃありませんか、最近勉強してるんすから」

隠「そうか。で、圓朝忌がどうした。菩提寺である谷中の全生庵に行きたいのか。あそこは若干わかりにくいぞ。私は以前行って、結構同じとこを回り、妙な裏口から入ってしまった」

全生庵入口。2024年8月の『牡丹灯籠』上演に当たり、圓朝師匠の墓前にご報告参りをしましたが、道順はとても分かりやすく、どうしたら迷えるか謎でした。(スタッフP)

八「それ、実話じゃないですか。実はね、今ちょいとミステリーにはまってましてね」

隠「ほう、急にどうした」

八「いやね、10月(*1)に池袋のシアターグリーンで行われる、朗読パンダ第5回公演ではミステリーがかかるって噂なんですよ。それでミステリーについて色々調べてましてね。そしたらちょうど寄席で「名人長二」って噺を聴いたんですよ。圓朝作の」 *1 初出時の2017年10月

隠「おお、法廷ミステリーだな。だが、八っつぁん、お前、あれ原作はフランスの小説だって知ってたか」

八「えっ! そうなんですか」

隠「元々はモーパッサンというフランスの小説家の短編だ。それを三遊亭圓朝という人が、江戸時代の日本に翻案したんだな」

八「へぇ、そうなんだ。日本の話じゃないんだ」

隠「モーパッサンの原作「親殺し」が非常に短い掌編法廷譚なのに対し、ずいぶん話が大きくなっているが、登場人物は同じ指物師だ」

八「そうなんですね」

隠「他にも色々あるぞ。グリム童話『死神の名づけ親』、あるいはイタリア歌劇『クリスピーノと死神』を江戸時代に翻案した「死神」(*2)は特に有名だな」
*2 「死神」は、圓朝筆によるテキストや口演速記録は存在せず、現在刊行されている岩波書店版『円朝全集』では、弟子による口演速記録が別巻に収録されている。また、原典についても諸説あり、確定はされていない。

八「まだあります?」

隠「なんと言っても『怪談牡丹灯籠』だろう。これは中国の怪奇小説とも言うべき『剪灯新話』の中の「牡丹灯記」に、江戸時代にあった旗本家のお家騒動の話を合体させて一つの物語にした、壮大なスケールの噺だ」

八「ちょ、ちょ、ちょいと待って下さいよ、ご隠居。さっきから聞いてると圓朝師匠、ありものくっつけて話をこしらえてません? いいんですか?」

隠「何が?」

八「ほら、著作権とか」

隠「お前、圓朝師の命日は知ってるのに基本的なことを何も知らん奴だな。昔はそんなものなかったからな。それを今の視点でどうこういっても意味がないよ。それに演る側も聴く側もお互いわかってやってることだ。そういうのはパクリとは言わない。引用だ」

八「ほう。引用ね」

隠「出どころを明示してやるのが引用、こっそりやるのが盗作だ。それにお前、ありものくっつけてと言ったが、何もないところから話が作れるか?」

八「どういうことです?」

隠「じゃあ、こう考えよう。お前さん、日本語なしで話ができるかい」

八「日本語なし? そりゃ無理だ。あっしはゲーコクゴなんて知らねえもの」

隠「いや、外国語もなしだ。今ある言葉はすべて禁止。それで話が作れるかい」

八「できませんねぇ」

隠「そうだろう。じゃあ聞くが、日本語はお前がこしらえたものかい」

八「そんなわけないでしょう。あっしが生まれるずっと前からありますよ。たぶんジイさんの代くらいには」

隠「もっと前からあるよ」

八「まぁそうか」

隠「なら、日本語はお前の言葉じゃないな。するってぇと、お前は自分の言葉じゃないありもので話をしてる。そうだな」

八「そうなりますね」

隠「いや、お前だけじゃない。私もそうだし、この地球上にいる全員がそうだ。自分の言葉じゃない、人の作った言葉で、泣いたり笑ったり怒ったり、えろいことを囁いたりしてる。どうだ。これでもありものを使っちゃ駄目か」

八「なるほどね」

隠「言葉だけじゃなく、その言葉を使った物語だってそうだ。世阿弥という人を知ってるか」

八「ああ、あの下ぶくれで目の細い」

隠「それは能面だ。あんな顔した奴……いるっちゃいるが、面はどうでもいい。能楽師としての世阿弥だ。その世阿弥は『源氏物語』や『伊勢物語』を引用しまくり、一つの能として上演してる。「葵上」や「井筒」を観て得た感動は駄目かい。そんなことないだろう」

八「そういうことなんですね。引用か。いいこと教わっちゃったな」

隠「ま、観る側・聴く側にも、それなりの下地が求められる部分はあるな」

八「なるほどね。でも、どおりでね。納得しましたよ」

隠「何がだ?」

八「だって、あの「名人長二」って噺、仏壇をぶっ叩くじゃないですか」

隠「有名な「仏壇叩き」だな。それがどうしたんだ」

八「いや、フランスの話だから仏壇と、こういう訳だったんですね」

隠「ちょっと言ってることがよくわからないがな」

八「だってフランスって漢字で仏の国って書くでしょ。それで仏壇が」

隠「フランスに仏壇があるわけないだろ! しかもお前、今のボケは人情噺の傑作「メルシーひな祭り」のパクリじゃないか!」

八「いやだなぁご隠居、怒っちゃいけないよ。今のは“引用”でございます」(サゲ)

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