
誕生日の君と泣き虫の僕
先日、大好きな彼女が誕生日を迎えた。早生まれの自分と二歳差でいられたのは5ヶ月足らずで、また出会った時と同じ3歳差になってしまった。何歳差なんて些細なことは全く問題ではなく、また少し歳上になった彼女はますます魅力的だ。
初めて迎える彼女の誕生日。プレゼントは奮発し、そこまでお高いわけではないけど行きつけのお店の馴染みの味でお祝いして、安価で有名なホテルでチェックアウト遅めのプランでまったり。まだまだレジャー施設に遊びに行ける状況ではないこともあり、二人ささやかに落ち着いた雰囲気でお祝いできたように思う。
ホテルについてすぐ、「お手紙を書いてきたの」と封筒を差し出され、手紙なんて何も用意していなかった自分を責めた。その場で読んで涙が止まらなかった。「お誕生日を一緒に過ごしてくれてありがとう。付き合ってもうすぐ半年で、あなたのいる生活に慣れてきました。これからも末長くよろしくお願いします。」読みやすい字で簡潔にまとまった本文は、何よりも彼女からの愛を感じてとても心に響いた。
愛情表現が苦手な彼女が、noteのエッセイや手紙では自分なりに伝えようとしてくれた時、その事実だけで嬉しいし、そこに乗せられた愛情を感じて涙が止まらない。
五月中に自粛で会えなかったせいか、六月に入り久しぶりに会った帰り道にも車を運転しながら泣いてしまった。お誕生日祝いの別れ際にもたくさん泣いて困らせてしまった。今もこれを書こうともらったお手紙を読み直して号泣した。
楽しさ、嬉しさ、愛おしさ、寂しさなど感情が溢れすぎてどうしようもなくなった時に涙で放出するのに身体が慣れてしまったのだろうか、どうもそんな気がする。
でも、ずっと先にこの文章を読み直して「この頃はめっちゃ泣いてたな」となるか「この頃からめっちゃ泣いてたな」となるかはわからないけど、嬉しさや寂しさでぐちゃぐちゃな心の中は決して忘れたくない感情だと思うから、こうして残しておくことにした。
最後に、改めて誕生日おめでとう。こんな泣き虫だけどこれからもよろしくお願いします。とだけ。