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我慢しろと言ったらアウトです

ロッシーです。

毎日暑いですね。

エアコンはもはや現代の生活必需品となりました。ないと命にかかわります。

地球温暖化のためだからといって、エアコンを使わないよう我慢なんかしてはいけません。熱中症で死んでしまいます。

私の部屋のエアコンはほぼずっとつけっぱなしですよ。

地球よりも、まず自分の命を優先しましょう。

そのうえで、地球に良いことをしたらいいと思います。

まあどちらにしても、地球は気にもしないと思いますが。


我慢といってもレベルがある

我慢は美徳という言葉があります。

本当にそうでしょうか。

我慢が美徳として通用するのは、自分の環境や状況が耐えられるレベルにおさまってる限りにおいてです。

こんなに暑くなると、もはや身体が耐えられるレベルを超えていますから、我慢をしたら命にかかわります。だから我慢は美徳ではなく悪徳です。

仕事や人間関係も同じ

仕事や人間関係だって同じなのではないでしょうか。

我慢の限界を超えるような残業、我慢の限界を超えるようなパワハラなど、そういうものは我慢してはいけないのです。我慢は美徳ではありません。我慢すると死んでしまったり、自殺に追い込まれたりしますから、我慢は悪徳です。

もちろん我慢することもときには必要な場面があります。

でも、そういう状況は「我慢することで対処できるくらいのレベル」なのです。本当にひどいケースは我慢では対処できません。

我慢なんてそれくらいのものだと思ったほうがいいです。万能のツールではないのです。ましてや美徳ではありません。

我慢が大事と言う人

「我慢が大事だ」という人っていますよね。

そういう人は、失礼な言い方を承知でいうと、

「生っちょろい環境で生きてきた」のだと思います。

生死にかかわるような過酷な状況を生き延びてきた経験のある人は、そうそう簡単に「我慢が大事だ」と人に言わないような気がするのです。なぜなら、そういう状況では我慢なんて役に立たないからです。

生っちょろい環境で生きている人は、自分の環境を変える必要がありません。現状を肯定していればいいだけです。必死に対策を考えるために思考をフルに働かせる必要もありません。我慢だけしてればいいわけです。

だから「我慢が美徳」になってしまうのではないでしょうか。

我慢と対策はセットで語れ

我慢というのはひとつのツールです。

それは、何らかの対策とセットでなければ意味がありません。

「とにかく今は3日間我慢しろ。その後これこれの対策をとる準備をしているから心配するな。」

という風に、対策とセットで言えなければ単なる無能な人です。

敵軍に攻められている一方なのに、何の対策もなく「我慢しろ」という上官がいたらどうでしょうか?そんな人のもとで戦いたくありませんよね。それと同じです。

我慢しろと言ったらアウト

自分が誰かに「我慢しろ」と言ったらアウトだと思ったほうがいいです。

会社でもしもあなたが上司だとしたら、部下に対してはそれだけは言わないようにしましょう。

言うときには、対策とセットで語るようにしましょう。

もし対策を語れないのなら、自分は無能であることを素直に認めて、そのポジションからは降りましょう。

無能な人間が上にいることに、一番我慢しているのはその部下なのですから。

我慢は悪徳

我慢は美徳でしょうか?

その我慢により、現状を変化させる障害になっているのだとすれば、美徳ではなく悪徳です。

我慢強い人は、きつい労働や作業を頑張ってこなします。でも、そういう人がいることで、もっと簡単にできる方法を取り入れない。

そういうことだってあるのではないでしょうか。

我慢を美徳だと思っている人は、あなたのその我慢が現状を変えることを妨げてきた可能性について、もっと考えたほうが良いのかもしれません。

それでも我慢を美徳だと思いたい人は、ぜひ今日からエアコンなしで生活してください。命取りになっても責任は負えませんけど。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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