勝とうとするのは弱いから
ロッシーです。
以下は老子の一節です。
他人に打ち勝つものは強いが、自分自身に打ち勝つものは偉大である。
含蓄のある言葉だと思います。
勝とうとする人は弱い
老子は、「他人に打ち勝つものは強い」と言っています。
ただ、ここでいう「打ち勝つ」というのと、他人に「勝とうとする」ことは違う意味だと私は思っています。
何もせず無為にして勝ってしまう人は確かに老子の言う通り強いでしょう。
でも、そうではなく「他人に勝とうとする人」は弱いと思うのです。
例えば、強い犬は自分より弱い犬に対して勝とうとしません。
単にじっとしているだけです。吠える必要もありません。逆に、弱い犬のほうは、吠えまくったり暴れたりして虚勢を張るわけです。
勝とうとするのもそれと同じで、自分が弱いから勝とうとするのです。
強い人は、わざわざ弱い人に勝とうとしません。すでに勝ってしまっている状態なので、勝とうとする必要性がないからです。
いつでも瞬殺できる実力があったら、何もする必要がありません。自分が生殺与奪の権利を持っているのですから、あとはそれを行使するか否かを決めるだけです。
だから強い人ほど余裕で負けてあげられますし、たくさん譲歩しても大丈夫なわけです。
強さをアピールしたがる人
弱い人は自分よりも弱い人を見つけると、これ幸いとばかりに自分の強さをアピールしたり見下します。そうすれば、自分が弱いという事実から目をそらすことができるからです。
でも、アピールしなければならないということは、その両者の強さはほとんど変わらないからなのです。
圧倒的な実力差があれば、そもそもアピールをする必要もありません。
少しの実力差だからこそ、その僅少な差異をアピールしなければならなくなるわけです。それはつまり「強いといってもたいした差はない」ということになるのです。
そう考えると、他人に勝とうとしている人を見ても
「ああ、この人は弱いんだな。」
と少し優しいまなざしで見ることができるかもしれません。
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