躁鬱。22歳。3人分の人生。
躁鬱、22歳女。
自分のお気に入りのノートに書き連ねている思いを上手くnoteで消化したい。社会と繋がりたい。他人に求められたい。そんな傲慢で始めたnoteです。読んでいってくれたら嬉しいな。
双極性障害って、結局は3人の人生を1人で担っているのでは?
3人
1人で担う?
躁、鬱、混合状態
私は彼らを順に赤、青、モスグリーン
(ここで緑と言わずモスグリーンというのはイメージが確実に緑ではなくモスグリーンだと信じてやまないため)
の3色だと感じる。
さて、躁鬱の脳内状況を文章にしてみよう。
私は海岸に置かれたモスグリーンのソファに座っている。
彼の右腕の体温はまだ人間らしく暖かい。
他人の体温を心地いいと感じるのは久しい事だった。
目の前には荒々しく唸る海、足元には湿った砂浜、そこにぽつりと置かれたそのソファは、まったく、私たちを代弁するかのようにこの世界には不似合いで、私たちにはぴったりだ。
赤の部屋から出てきた私達。
青の部屋は扉がなく、深い色が私たちを引き込もうとしている。
緑の部屋には南京錠がかけられており青の部屋を後ろにつづいている。
そう、青の部屋に入る他ないのだ。
青の部屋は冷たく私たちの熱った身体にはぴったりだろう。
「君にこの花をあげる」
そう言って彼がどこからか持ってきた花はカサブランカ。
きっと、赤の部屋で浮ついた気持ちが形を成した幻想だ。
この花は青の部屋に入れば、枯れてしまうに違いない。それを避けることはできないのに、私たちはまだここにいたかった。
誰かの体温を感じるのは、今までずっと心地が悪かったのに。
初めて感じる心地よさ、そのままカウチに沈んで溶けて、なくなってしまえば、と考えた。
「じゃあね」というまだ発せられない彼の言葉が怖かった。
「行こう」と言って手を取ってまた暗い青の中に引き摺り込むように一緒に歩いてほしい。できることなら。
それが叶わないのは、彼が私の手を取らないからでも、ここに居続けるからでもなく、私の片隅にある彼を失うという不安が黒になってモスグリーンのカウチすら真っ黒にしてしまうから。
その真っ黒に彼を道連れにしたくない。彼はどうせ道連れなら自由に道連れにしてあげる、と。
青、赤,緑、全てを手放そうとする。
それは私たちにとって死に値することだというのに。
生きている限り逃れられない、私たちの青と赤と緑は手放すとなれば、それは天へ、または深い奈落の底へ行くと決まっているのだ。
迷宮入りする私たちの人生、次に選ぶのはどちらの部屋?
カサブランカ・スウィート・ハート
この文章において彼は私の脳内に存在するもう1人の自分。
アマダレちゃん、今日も生きながらえたね。1日ひとつ、なにかをしたら自分を褒めてあげよう。まぁ、確かに生きてるだけで十分だけど、そこから一歩踏み出せたらそれは、自分で頭を撫でて自分を抱きしめてあげてね。
私から、私へ、あなたへ
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