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結局のところ生理は恥ずかしい

こんにちは。
熊本県の20歳、真優と申します。
これが私のnoteでの初投稿です。

私は生理というものについて、「恥ずかしい」という気持ちがある。
ここ最近、男性も積極的に生理について知っていこう!みたいな風潮があるが、私としては歓迎できない。
「ちょっと待って。いまさら、何?」という気持ちが心の奥底からこみあげてくる。

私が生理が始まったのは12歳のとき。仲のいい友達が私よりも半年くらい早く生理が始まっていたので、親よりも先に、彼女に「生理が始まってしまった」と報告した。
彼女は本当に頼りになった。「トイレに行ってナプキンを変えたいけど、どうやって隠せばいいのか分からないから助けて」と彼女に言うと、彼女は慣れた手つきでパッとポケットにナプキンを入れたのだった。

中学校1年生になった夏、水泳の授業が始まる前の体育の授業で、体育の先生が「男子は教室に戻って着替えて、女子はここに残れ」と言った。その理由はもちろん、水泳の授業の時の生理について女子生徒に話すためだった。
「生理中に水泳の授業に参加することを強制するわけではないけれど、生理中にプールに入っても、血は出ないから、安心しろ」と体育の先生は言った。

高校を卒業するころには、「今日、あれなんだよね。」「もしかして、あれ?」というように、少しの言葉で生理であることを伝える技術を身につけるまでに成長した。私が公共の場でこのような隠語を使うのには、もちろん理由がある。「生理は隠したほうが良い」と思っているからである。小さな少女時代からナプキンは隠して持ち歩いていたし、それを「堂々としていいよ」などという大人もいなかった。生理について話があるときは男女を分けられたから、「男子には生理について言ったり悟られてはいけない」と思うようになっていた。

そんな環境で過ごし、成長した私が今直面し、驚いていること。それは、「生理は恥ずかしいものではない!」「パートナーも一緒に生理のことを知ろう!」みたいなちょっぴり痛々しい言葉。そんな言葉は矛盾だらけで全く腑に落ちない。多分、こんなことを私の世代に言っても効果は少ないと思う。私にとっては「生理は恥ずかしいもの」なのだから。

でも、「生理は恥ずかしくないよ」と女性に伝えたいのであれば、少女たちが受ける教育現場を変え、感受性が豊かで敏感な小中学校のうちに「生理は恥ずかしいもの」という印象を持たせなければいいと思う。生理ナプキンを学校に持ってくるのを忘れた女子生徒が困ることがないような現場作りを。ナプキンをコソコソ持ち歩かなくてもいい環境作りを。教育作りを。

「生理は恥ずかしいもの」という教育・社会が生みだした私のような女性を生み出さないために、できることやするべきことは、たくさんある。

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