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コロナでピアスの穴が塞がった
コロナで約2年間、オシャレをする機会はほぼなかった。みんなで集まって外食したり、お出かけしたりは当然ない。気づいたらピアスの穴が塞がっていた。開けたのは10年以上前だろうか。コロナ明けに痛い思いをして数回ピアスを付けたが、この際、きっぱりさよならを言いたい。10年間一生懸命守ってきたこの穴がついに塞がってしまうと思うと、なんだか寂しい。でも、これもコロナで変わった自分の一部なんだと思いたい。
そもそもなぜ開けた
「オシャレは自己犠牲だ」なんて思っている人はいるだろうか。でも、振り返ってみるとそんなことばかりだ。目は傷つくのにコンタクトをするし、足は痛くてしゃあないのにヒールを履くし、めんどくさすぎるのに化粧をして髪を巻く。全て好きでもないのにやっているならオシャレは自己犠牲だ。
ピアスだって、そうだ。民族的な風習があるわけでもないのに、身体の一部に穴を開け、膿んだり赤くなったり、痛い思いをしながら、必死に小さな穴を守ってきた。今思い返せば、だいぶ厄介な穴だった。今の若い人たちは穴を開けない人が多いらしい。開けなくても同じようにオシャレできるなら、開けない方が絶対にいい。それで、業界もイヤリングやイヤーカフの製造にシフトしているというんだから、今の若い世代に「あっぱれ」と言いたい。
我慢はするものなのか
ピアスの穴は実に厄介だった。そもそも身体に穴があれば、修復しようと塞がるのは当たり前のことで、若ければ若いほどそのスピードも早い。私の場合、10代後半で開けて約3年間ほど穴は安定しなかった。みんなそうだろうか。その間、膿んでは消毒し、塞がらないように気を使い、少し膜が張ったら痛い思いをして、貫通させてきた。本当に痛かった。
それでも、何食わぬ顔してピアスを付けてきた。なんのためにそんなことをしてたのだろうか。コロナになって、今まで我慢してきたことが本当に必要だったのか見直す機会が訪れた。9時に出社している必要があるのだろうか、満員電車は必要なのだろうか、仕事はオフィスじゃなきゃできないのだろうか。そんな当たり前の我慢が全て覆された。
理不尽な上司、嫌いな仕事、長い勤務時間。私も昔、「働くってそういうことなのよ」と諭され、「みんなそうやって苦労して働いているのよ」と念を押された。当然のようにしなくちゃいけない「我慢」は、本当に必要なのだろうか。コロナを通して、その疑問はどんどん大きくなっていく。ワガママと捉えられるのかもしれない。でもこの心の声を無視したくない。そういう確信が生まれた。
生き方のアップデート
ピアスはもう付けない。こんなにイヤリングやオシャレなイヤーカフがネットに出回っているなんて知らなかった。これまでのオシャレをアップデートし、自己犠牲のないオシャレに切り替える。それは、私にとって絶対ハッピーな選択だ。もう、塞がる穴のことでビクビクしなくていいんだ。痛い思いをして我慢しなくたっていいんだ。
オシャレだけじゃない、自分の生き方だってアップデートしたっていい。しんどくて無理している部分があるなら、切り捨てよう。家事だって育児だって、頼めるところはとことん人に頼ろう。趣味だって、「かっこいい」と思われるためにやっているなら、やめよう。SNSだって、インスタを見るのが疲れるなら、やめよう。情報に振り回されるのがしんどいなら、離れたっていい。
もっと、シンプルでいい。もっと、自分に素直でいい。ピアスの穴が塞がったことは、そうありたいと願う自分の証だ。そう思って、この穴にさよならしよう。ありがとう、私のピアス穴。(合掌)