はじめてのジェンダー論_Fotor

人間はなぜ〈男〉と〈女〉に分類するのか!?〜『はじめてのジェンダー論』

◆加藤秀一著『はじめてのジェンダー論』
出版社:有斐閣
発売時期:2017年4月

「人間には男と女がいる」という認識は一見自明であり、自然なことであるように感じられます。しかしジェンダー論の立場からいえば、実際には私たち人間がそのような現実を社会的につくりあげているということになります。ではどのようにつくりあげているのでしょうか。本書ではその問題がメインテーマとなります。

そもそもジェンダーとは何でしょうか。ときに「社会的性差」と訳されることがあります。「性差には社会的なものと生物学的なものがあり……」との解説のあとにそのように規定されるようです。しかし、社会学や法学、教育学などではジェンダーを「性差」という意味で用いることはむしろ少ないらしい。

そこで本書の定義は以下のようなものとなります。

私たちは、さまざまな実践を通して、人間を女か男か(または、そのどちらでもないか)に〈分類〉している。ジェンダーとは、そうした〈分類〉する実践を支える社会的なルール(規範)のことである。(p7)

以上の定義から二つの論点を取り出すことができます。一つは「〈分類〉する実践とはどういうことを指すか」。もう一つは「その実践を『私たち』が行なうことの意味」は何かという問題です。

トランスジェンダーや性分化疾患などの実例を引きながら、性別二元性社会が自明なものではないことを説いていく筆致は明快です。そのうえで性別の自己決定権という概念の解説に向かうのも自然な流れでしょう。

性自認と性的指向にまつわる問題に関してとりわけ興味深く読んだのは、自民党が2016年に発表した文書「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」に言及した箇所です。

「まず目指すべきは、カムアウトできる社会ではなくカムアウトする必要のない、互いに自然に受け入れられる社会」であるという文言を留保つきで評価しながら、次のくだりに懐疑を挟んでいるのは注目に値するでしょう。
「性的指向・性自認の多様性を認め受容することは、性差そのものを否定するいわゆる『ジェンダー・フリー』論とは全く異なる」と述べている点です。「ジェンダー・フリー」論が「性差そのものを否定する」というのは「悪質な誤解ないし曲解」だと著者はいいます。

そのような「曲解」に基づいて男女平等のためのさまざまな教育実践をしばしば自民党の政治家たちが弾圧してきました。このようなあからさまな矛盾を克服していくつもりがあるのかどうか、著者が疑義を呈するのも当然といえます。これは、今年になって杉田水脈が「新潮45」誌上に発表した論考に発する一連の騒動をみれば、著者の疑義がけっしてためにするものではなかったことがわかります。本書の指摘は自民党のそうした欺瞞を予告したと読むこともできるでしょうか。

また著者は、生物学的性差を肯定することに対する警戒心には十分に合理的な理由があるとも指摘します。生物学的性差という観念によって性差別を正当化し、性役割規範を固定化することが繰り返し行われてきた歴史があり、かつそうしたことが今後も繰り返される危険はなくなってはいないからです。

実際、自然科学に潜むジェンダーバイアスを指摘している点はとても勉強になりました。たとえば「哺乳類」という動物分類学的カテゴリーを確立したのはリンネですが、彼は母親自身による母乳育児を推奨する社会運動に関わっていたといいます。「どうやらそこには、客観的事実への謙虚な姿勢よりも、リンネという個人の価値判断が色濃く反映されていたようです」。

リンネの事例は古いものですが、生物学的な語彙をジェンダーの強化に利用する言説は今もありふれています。「男女はこうあるべき」という価値判断をもっともらしく見せかけるための道具として科学的知識が利用されることがあるわけです。ポップ心理学などはその典型です。

性暴力に関する考察にも多くの紙幅が費やされています。昨今、政治の場でも社会に混乱をもたらしたと否定的に論じられることもあるセクシャル・ハラスメントについては、その概念の発見が「性暴力被害という問題が問題として認識される可能性の増大であった」と積極的な評価を与えていることはいうまでもありません。

さらに性教育への政治介入については、介入の根拠がきわめて乏しい例の多いことを指摘しています。性教育の現場では「自分で考え、自分の意見を持ち、主体的に行動できるようになること」を目指しているのですが、これはとりもなおさず民主主義の基本理念に重なるものです。子どもに性知識を教えることをやみくもに反対する政治家たちは、そのような教育が気に食わないらしいのです。すなわち民主主義の基本理念そのものに通じる教育を抑圧しようとしているのだという加藤の指摘は正鵠を射ているように思われます。

このほか、男女の賃金格差の問題やリプロダクティブ・ヘルス&ライツ(生殖に関わる諸権利と健康)などなど様々な論点に目配りがきいています。
本稿の要約や抜粋だけでは、社会が男女の区分をつくりあげてきたことの詳細はわかりにくかったかもしれません。関心のある人は是非本書を手にとっていただきたい。ジェンダー論の入門書としては最適のテクストだと思います。

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