民主主義に対する諸刃の剣!?〜『ポピュリズムとは何か』
◆水島治郎著『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』
出版社:中央公論新社
発売時期:2016年12月
ポピュリズムをキーワードにした政治学の書物にあまりおもしろい本はないというのが私のこれまでの読書体験から得てきた管見です。おしなべて、手垢のついた用語に恣意的な語釈をあてはめたような大味な論調という印象が拭えませんでした。
本書はタイトルどおりまさにポピュリズムを真正面から考察した本。結論的にいえばそれなりに勉強になりましが、既刊の類書と同じく疑問も残る一冊です。
ポピュリズムには大まかにいって二つの定義があるといいます。
一つは「固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイル」をいうもの。今ひとつは「『人民』の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動」をいうもの。本書では後者を採ります。何故なら「現在、世界各国を揺るがせているポピュリズムの多くは、まさにエリート批判を中心とする、『下』からの運動に支えられたものだからである」。
水島はマーガレット・カノヴァンを引用して、実務型デモクラシー(立憲主義的)と救済型デモクラシー(ポピュリズム的)の緊張関係においてポピュリズムを捉えようとします。二つの型は民主主義にとっては欠くことのできない要素。デモクラシーは純粋に実務型であることはできず、部分的には救済的な要素に基づくものですから、ポピュリズムの発生する余地を常に与えることになります。
以上のような基本認識をもとに、ラテンアメリカ、ヨーロッパ、米国などにおけるポピュリズムの変遷をあとづけていきます。それらの地域の政治状況を簡潔にまとめている点で学ぶところは少なくありませんでした。
とりわけ労働者の権利拡張を推し進めたアルゼンチンのベロニズム(本書ではポピュリズムの一つとして論及されている)による消費社会の到来が独自の政治的行動様式を持つ「消費者」を誕生させたとする記述は興味深いものです。
また、デンマークやオランダ、スイスのポピュリズム政党は自由や公正など「リベラルな価値」の観点から近代的価値を受け入れないイスラムへの批判を展開している、という指摘にも驚かされました。
それらのポピュリズムを分析してわかることは、その両義性です。本書では随所にそのことが述べられています。
ポピュリズムはデモクラシーの発展を促す方向で働くこともあれば、デモクラシーへの脅威として作用することもある。(p20)
ポピュリズムは、人々の参加と包摂を促す一方、権限の集中を図ることで、制度や手続きを軽視し、少数派に抑圧的に作用する可能性がある。(p22)
既成政治に対する批判、不満の表明は、それが法治国家の枠に収まる限りにおいて、意味を持ちうる。しかし実際には、安全弁だった思っていたポピュリズムが、かえって制御不可能なほどに水を溢れさせるリスクもある。(p230)
ただし現在、世界の諸地域で進行している一連の政治動向をポピュリズムなる概念で包括的に説明を試みることの意義や有効性については、やはり最後まで疑問が消えませんでした。
そもそもポピュリズムとは政治上の理念モデルというよりも現実に存在する政治勢力に向けられた一つのラベリングです。語源となった米国人民党の活動と直接関連づけられることは少なくなりました。今ではみずからポピュリズムを名乗る政党はありません。分析者が現実にあわせていかようにも定義を上書きしていくことができます。
前述したように本書では、ポピュリズムについて「『人民』の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動」との定義を採って論を進めているのですが、ヨーロッパにおける既成政治・エリート批判とは、既成の制度が行なう再分配による受益者(移民や生活保護受給者など社会的弱者を含む)をも特権層として批判するというアクロバティックな理路をたどります。
ついでに記せば、大阪維新の会もポピュリズムの文脈で論じられていますが、彼らは特権層を解体するポーズをとりながら、実際にやっていることは別の特権層を生み出している気配が濃厚です。そのような政治勢力はポピュリズムの定義にかなっているのかどうか疑問ですが、それを何と呼ぼうとも、政治内容を具体的に検討し評価することの方がはるかに重要でしょう。ポピュリズムという概念規定に拘泥することは、かえって不毛な議論を呼びこむ虞があります。
近代西欧が育んできた「リベラル」な価値観がいわば「反転」を見せ、むしろ強固な「反イスラム」の理論的根拠を提供するに至っている。……という事例が顕在化しているのなら、素人的には、ポピュリズム云々よりも、じゃあ「リベラリズムとは何か」と問い直してみたい気がしました。
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