ドイツの近現代史に学ぼう〜『ナチスの「手口」と緊急事態条項』
◆長谷部恭男、石田勇治著『ナチスの「手口」と緊急事態条項』
出版社:集英社
発売時期:2017年8月
麻生太郎副総理が「ナチスの手口に学んだらどうかね」と口を滑らせたのは、2013年のことでした。すぐに撤回されたとはいえ、自民党が目指す改憲はより現実味を帯びてきているので、麻生発言は一つの戦略を示唆するものとして未だ不気味に地底で響き続けているようにも感じられます。彼の認識によれば、ワイマール民主制からナチス独裁への移行は「誰も気付かない」うちに変わったというのですが、本当にそうなのでしょうか。21世紀の日本がナチスから学ぶべきことなど本当にあるのでしょうか?
本書では、ナチスがいかにして独裁制を確立するに至ったのかをあらためてふりかえり、同時に自民党改憲草案にうたわれている「緊急事態条項」についてドイツの近現代史を参照しつつ、いかに危険なものであるかを検討していきます。憲法学者とドイツ近現代史の研究者による対論集です。
一般にヒトラーは民主的に選ばれ民主的な手続をもって独裁体制を築いたと認識されています。けれども「ヒトラーは民主主義で大衆によって選ばれた」「ヒトラーは合法的に独裁体制を樹立した」というのは史実に反すると石田はいいます。つまり麻生副総理の認識は明らかに誤りを含んでいるということになります。
国民の多くがヒトラーを宰相にしようと望んだわけではありませんでした。すでにワイーマール体制が崩壊しつつあるなかで、当時の政争のなかからヒトラー首相は誕生したのです。
ヒトラー政権の副首相となったパーペンに言わせると、落ち目のヒトラーを「政権に雇い入れる」のであって、用が済めば放り出せばよい。露骨な反ユダヤ主義者、レイシスト、民主主義も立憲主義も否定する煽動家としてヒトラーはすでに世間に知られていました。(石田、p51)
しかし案に相違してヒトラーはその後、実力をたくわえ暴走を始めました。長谷部がいうように「理屈の通用しない人間が相手では、エリートがコントロールしようとしても限界」があることも否めないでしょう。
ナチスの独裁を法学理論で支えた学者としてカール・シュミットが知られています。シュミットは独裁を「委任独裁」と「主権独裁」に分けて考えました。前者は「危機に直面したとき、それに対応するために一時的にある人物ないし集団に権力の集中をはかる」場合をさします。後者は「既存の立憲的な制度を離れて、新たな政治制度をつくり上げることを目的」とする独裁です。
ヒトラー独裁の成立にあたっては、ワイマール憲法の緊急事態条項が大きな役割を果たしました。シュミットの分類で言えば「委任独裁」として設定されていたはずのワイマール憲法第48条を根拠に発せられた緊急令が、いつの間にか憲法制定権力として振る舞うヒトラーの「主権独裁」へとすり替えられていったのです。日本で緊急事態条項を考えるにあたっては、このドイツの史実がいかにも教訓的であることは付け加えるまでもないでしょう。
このようなドイツの現代史を復習した後、日本における緊急事態条項の検討に入ります。
自民党改憲草案に書き込まれた緊急事態条項は、緊急事態の認定の要件がとても緩いのが特徴です。内乱や自然災害といったことが書かれていますが、これは例示にすぎず、必要条件ではありません。つまり首相や政府与党による恣意的な運用が可能となる余地があるのです。
緊急事態がいったん認定されてしまえば、基本的人権が制限されます。戦後ドイツの憲法に相当するボン基本法では、緊急事態が宣言されても、思想、良心、言論の自由が制限される可能性はありませんが、改憲草案では制限できることが明記されているのです。
さらにここで問題になってくるのは日本の司法が「統治行為論」を採っていることです。高度な政治決定には司法が口を出さないという態度であり、これでは政治の暴走を司法が抑制することはできません。「緊急事態条項を憲法に導入するのであれば、『統治行為論』を退治しておく必要があります」と長谷部が指摘するのはこの文脈においてです。
ボン基本法では憲法の原則を憲法改正を通じてでも変えられない自国の価値観として規定しています。しかし日本ではそうではありません。日常的に基本的人権の尊重や国民主権などの根本原理を公然と否定する政治家がいるのは周知のとおりです。そのような状況のなかでは「ほんのわずかでも抜け道のある緊急事態条項をつくらせてはならない」と長谷部は力説するのも当然でしょう。
憲法の基本原理に毀損を加えるような安全の保障というのは、議論の根本がねじれていることになります。憲法の基本理念を守らないでいて、国を守っていることになるのだろうか。(長谷部、p239)
対談集はややもすると大味な内容のものになりがちですが、本書は二人の対話がうまく絡み合った濃密な対談集に仕上がっていると思います。