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説教から語りの芸能へ〜『落語に花咲く仏教』

◆釈徹宗著『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する』
出版社:朝日新聞出版
発売時期:2017年2月

伝統芸能はなんらかの宗教性をもっている。芸能について理解するには、宗教を通してみることが必要。そのような観点から本書では特に落語と仏教との関連を考察しています。宗教や芸能を生み出した人類の特性から説き起こす本書は思いのほか骨太の本でした。著者の釈徹宗は浄土真宗本願寺派如来寺の住職で、大学でも教えています。

仏教の法会・法要は、声明と説法の二要素で構成されています。前者は日本芸能の「歌いもの」(祭文や浄瑠璃など)、後者は「語りもの」の土壌となってきました。「語りもの」として発展してきたのは落語や講談などです。

昔から説教者の間では「始めしんみり、中おかしく、終わり尊く」という構成法が口伝されてきたといいます。『醒睡笑』を著して「落語の祖」と称される安楽庵策伝(日快)は、説教の「中おかしく」を体得していた僧侶だったと考えられます。落語は説教の「中おかしく」が飛び出して生まれたものなのです。ちなみに日快は浄土宗西山派の僧で、茶道や和歌などにも通じ、当時の一級の文化人でした。

というわけで、落語には仏教など宗教と関わる演目が数多い。浄土宗と関係の深いネタとしては「小言念仏」「阿弥陀池」「お血脈」「万金丹」「八五郎坊主」など。浄土真宗系のネタでは「宗論」「親子茶屋」「浮世根問」「後生鰻」「寿限無」など。法華宗では「鰍沢」「甲府い」「刀屋」「中村仲蔵」など。臨済宗なら「蒟蒻問答」「近江屋丁稚」、曹洞宗では「野ざらし」「野崎詣り」などがあります。また仏教倫理を説いたものとして「鴻池の犬」「松山鏡」「除夜の雪」などが挙げられています。

もっとも落語が宗教を素材にしているからといって、正面から信仰を褒め称えるような演目はあまりありません。多くの場合、僧侶や信心深い人はからかいの対象となっているのです。かつて桂米朝はそのようなネタを演っている最中に客席にいた尼さんの二人連れが中途で退出したことを後に高座でボヤいていたものでした。しかし本書にあっては、宗教を揶揄する落語に不快感を表明するのではなくエールをおくって懐の深さを示しています。

 ……つまり、宗教や信仰を笑いのネタに使えるほど市民宗教化しているのである。宗教や信仰を笑うには、成熟した文化と肌感覚の宗教性が必要である。お説教をパロディ化したような態度をとる落語は、やはりたいした芸能であると言わざるを得ない。落語は我々の日常生活における愚かさや寂しさを再認識させてくれる。それは宗教を知れば知るほど人間が愛おしくなる事態と通底しているのである。(p195〜196)

文化の成熟を語る釈徹宗自身もまた成熟した文化人であると私は思います。

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