安全・安心神話づくりの舞台裏〜『原発プロパガンダ』
◆本間龍著『原発プロパガンダ』
出版社:岩波書店
発売時期:2016年4月
地震大国・日本で多くの国民が原発推進を肯定してきたのはなぜなのでしょうか。国民の無知や無関心ということで済ませていい問題とも思えません。その問いに対して本書は明快に回答を与えます。──電気料金から得た巨大なマネーを原資に、日本独特の広告代理店システムを駆使して実現した「安全神話」と「豊かな生活」の刷り込みがあったのだと。
本書では原発推進のための一方的な情報の流布を「原発プロパガンダ」と呼び、その実行主体と協力者、その手法と事例を解説していきます。著者の本間龍は博報堂に勤務した後、フリーで活動している著述家。
電力業界の広告には二つの意味があるといいます。ひとつは原発の安全性や原発誘致のメリットを訴える、文字どおり広告としての役割。今ひとつは、報道を統制するための手段です。つまり「平時における電力会社の広告出稿は、常に原発政策はバラ色ですと報道してもらうための『賄賂』であり、事故などの有事の際は、出稿引き上げをちらつかせてメディアに報道自粛を迫る『恫喝』手段に変貌する……」。
原発に批判的な報道を行なったメディアへの原子力ムラの攻撃は徹底したものだったようです。たとえば青森放送に対する執拗な弾圧。六ケ所村の核燃料サイクル施設の建設をめぐって分断された地元の苦悩を描いた番組は業界では高い評価を得ましが、それゆえに原子力ムラからの攻撃は容赦のないものでした。最終的には社長の退陣に加えて、番組の制作母体であった報道制作部の解体にまでおよんだのです。財政基盤の弱いローカル局が大スポンサーの電力関連企業や原発推進官庁からの圧力に屈した例はほかにも紹介されています。
ところで原発プロパガンダの内容をみると、福島原発の事故以前と以後とでは大きな相違がみられます。事故前は、原発の安全性を訴えることが主眼となっていました。事故後は「原発が停止すれば大停電が起き、日本経済が破綻する」というキャンペーンに切り替わりました。しかし停止しても何も起きなかったので、その後は事故の深刻さを伝える報道や発言を「風評被害を発生させる」と叩いたり、健康被害を否定するなどの「ダメージ緩和」、輸入資源の高騰で国際収支が赤字となっている現状を訴えて「エネルギーベストミックスによる原発必要論」を前面に押し立てる作戦にシフトしてきています。
ボランティアの協力を得て行なったリサーチにもとづいて原発プロパガンダの実態を可視化していく本書の記述はなかなかに説得的です。とくにマスメディア業界全体に大きな影響力をもっている電通や博報堂にも批判の刃を向けている点は特筆ものといえましょう。
広告とは本来、企業と生活者の架け橋になって豊かな文明社会を築くのに貢献するはずの存在でした。が、いつのまにか「権力や巨大資本が人々をだます方策に成り下がり、さらには報道をも捻じ曲げるような、巨大な権力補完装置になっていた」と本間は痛切にまとめています。
現政権による言論統制はあらゆる分野に及びつつあり、米国務省が公然と懸念を示すほどの様相を呈しています。陰に陽に情報がコントロールされる可能性が高まっている以上、国民にはいっそうのメディア・リテラシーが求められる世の中になりました。言い換えれば政治権力とマスメディアの双方を厳しく監視する態度がますます必要になっているということです。その意味でも本書のような具体的な検証はまことに意義深いといえます。