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頑固親爺の成長物語〜『グラン・トリノ』

時代の変化は人智を超えています。権力者も金持ちも独裁者でさえも時代を手玉にとることはできないでしょう。ならば、一人の人間が変化を遂げる時、そこにはいかなる力が働くことになるのでしょうか。個人の自覚的な努力でしょうか。社会からの圧力でしょうか。人間関係の中に時に忍び込んでくる偶然の力でしょうか。あるいは自分が知らずにいた別の可能性が他者からの刺戟によって表面化するだけなのでしょうか?

『グラン・トリノ』は、人間が何物かから解放されること、すなわち変わっていくことについての映画としての一つの考察であり表現です。もちろんそんなテーマはこれまで掃いて捨てるほど映画作家によって具現化されてきたのですが、クリント・イーストウッドの手にかかるとやはり一味も二味も違う世界が出来上がります。
監督クリント・イーストウッドと俳優クリント・イーストウッドが同じ作品のなかで共存する最後の機会かもしれないという些か感傷的な想像を捨て切れないだけに、いっそうこの作品にはエールを送りたくなるというもの。

朝鮮戦争の帰還兵で、フォードの自動車工場で働いてきたウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は妻に先立たれた後、一人自宅の修繕をしたり庭の芝生を刈ったり愛犬を話相手にビールを飲んで過ごしている。
彼の自慢は自分が組み立てた72年製〈グラン・トリノ〉のヴィンテージ・カー。日頃は暗いガレージのなかに鎮座しているのですが、ピカピカに磨きあげて新車同様の状態を保っています。街中を走らせることはなく、外出するときには古びたトラックを運転します。

ウォルトはまた人嫌いで、相手のいやがることを平気で言い放ちます。息子ファミリーもそんな彼をもてあまし、時々お義理で電話をかけてきたりする程度。ある時、長男夫妻が贈り物片手に老人ホームへの入所を勧めに来るのですが、もちろんそんな話がまとまるはずもありません。

近隣の顔なじみは他所へ引越していったり死んだりして、アジア系やヒスパニック系の住民たちが増えてきた。隣にはモン族の三世代家族が越してきます。もともと東南アジア一帯に住んでいた彼らはベトナム戦争では米軍の味方をしたのですが、敗戦後、居場所を失って多くが米国に移住してきたのです。
他の民族への偏見を隠そうともしないウォルトは、モン族ファミリーにもあからさまに侮蔑的な言辞を投げつけます。彼らの家屋は傷みが激しく庭が荒れ放題なのも気に入りません。

自動車産業が栄えていた米国の繁栄の時代、ヨーロッパ系の住民たちで町を形成していた時代をウォルトは懐かしんでいる風。決して街中を走ることはない〈グラン・トリノ〉とともにウォルトは「古き良き時代」のレトロな世界に閉じこもっているともいえます。変化の波に洗われる社会と、自分の孤塁を頑なに守ろうとする偏屈な老人──。
 
ある夜、隣家の息子タオ(ビー・バン)が、モン族の悪い仲間にそそのかされて〈グラン・トリノ〉を盗もうと忍びこみます。朝鮮戦争で使ったライフル銃を持ち出して撃退するウォルトでしたが、この出来事をきっかけにタオとウォルトの不思議な交流が始まります。

タオは女性たちに囲まれた父親不在の環境に育ったためか、男として自分に自信をもつことができません。そんなタオをみてウォルトは父親代わりの存在として振る舞うようになります。ウォルトのおかげで自分が少しでも世の中の役に立つことができると知ったタオは大人への階段をのぼり始めようとします。こうしてタオを一人前の男にするということにウォルトは生き甲斐を見出します。さらに彼の鬱屈した言動の基底には朝鮮戦争での苦い記憶が深く横たわっているいることも明らかになってきます。

タオの成長に合わせるかのように、ウォルト自身もまたタオや義理堅く聡明なモン族住民たちとの交流を通して、硬直していた心を次第に柔らかくしていきます。最初は自宅に持ってきてくれた料理を突き返していた彼も、料理の香しさに負けて素直に受けとる場面など憎めない一面がみえてくるのです。
 
タオはウォルトの世話によって工事現場での仕事を得ますが、仕事の帰りにモン族のチンピラたちにからまれて暴力を受け、工具を壊されます。ウォルトは、彼らの一人をつかまえて力づくで警告を発しますが、そのためにかえってタオの家族に危害が及んでしまいます。
そうして、ウォルトは一つの決心をするのでした──。

要所に聴こえてくる音楽が例によって素晴らしい。また、演技経験の浅いモン族の若い俳優たちもそれぞれフレッシュな存在感を示していて印象に残りました。ウォルトにいじめられる若き神父(クリストファー・カーリー)やイタリア系の理髪師(ジョン・キャロル・リンチ)らの脇役陣も良い味。

さて、ウォルトが精魂込めて守り通してきたあの〈グラン・トリノ〉は一体どうなるのか? ──未見の読者は、是非作品を観て御自分の目でしかと御確認いただきたい。

*『グラン・トリノ』
監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、ビー・バン
映画公開:2008年12月(日本公開:2009年4月)
DVD販売元:ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント

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