政治的言説としての「宗派主義」〜『シーア派とスンニ派』
◆池内恵著『【中東大混迷を解く】シーア派とスンニ派』
出版社:新潮社
発売時期:2018年5月
昨今、中東の情勢について語られる場合、「宗派対立」の観点に注目されることが多い。しかしそのような議論には注意が必要です。見かけ上「宗派」間の対立にみえるとしても、それは必ずしも宗教的な要素に還元できるものではないというのが本書の基本認識です。
「現代の中東に生じているのは『教義』をめぐる対立ではなく、宗派の『コミュニティ』の間の対立である」と池内恵はいいます。本書はそうした認識にたって政治的言説としての「宗派主義」の概要をコンパクトにまとめたものです。同じ著者による『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』につづく中東ブックレットシリーズの第二弾という位置づけになります。
書名にもなっているシーア派とスンニ派は、いうまでもなく中東の「宗派対立」を象徴する二大勢力であることは間違いありません。その両者を分かつ考え方の違いについても本書では概説されていますが、簡単に要約できることでもないのでここでは割愛します。
全世界のイスラーム教徒のおよそ10〜15%がシーア派といわれており、残りの多くはスンニ派だといいます。数字だけみるとシーア派が少数派ということになりますが、必ずしも正統な教義から逸脱した異端ということでもないらしい。中東に限れば、シーア派の割合はもっと高くなり、イランでは多数派、イラクでも長く最大の人口を要する宗派でした。
近年のシーア派の台頭とそれに伴う宗派対立は、淵源をたどれば1979年のイラン革命に遡ることができます。それは近代化を推し進めたバフラヴィー王朝を打倒し、シーア派独自の理念による政治体制を樹立した革命でした。
イラン革命はアラブ諸国にとっては脅威を与えるものでもありました。オスマン帝国の時代に確立されていたスンニ派優位の権力構造はアラブ諸国の社会の深い層にまで根を張っていました。イラン革命でシーア派の政治的結集の理念と運動が顕在化し、それに感化された動きがアラブ諸国のシーア派のなかに現われた時、スンニ派のイラン革命への共感は恐れと敵意に変わった、といいます。
中東に宗派対立を解き放ったのはイラク戦争です。スンニ派のフセイン政権が倒れ、イラクで多数を占めるシーア派が初めて国家の権力を握ることになりました。その結果、イランの影響力が強まり、「シーア派とスンニ派の宗派対立」という図式がイラク新体制発足の過程で定着していったのです。
中東の社会に潜在していた宗派主義は、「アラブの春」を契機にさらに表面化します。それは中東での細分化した帰属意識の拠りどころの「多くの中の一つ」です。その意味では「アラブの春」の後に現われたのは、自由・民主主義への収斂でもなく、文明間の衝突でもありません。その混乱ぶりを池内は「まだら状の秩序」と呼びます。
……宗派対立は一方で社会の低層から、他方で権力の上部から煽られていく。宗派主義は、「味方」の範囲を規定して動員するためにも、「敵」を名指すためにも、同様に都合の良い、有効な言説であることが、証明されていった。(p133)
宗派主義の台頭は、アラブ諸国の国家機能の不全やアラブ民族主義の失墜と表裏一体だといいます。ゆえに宗派だけでなく、部族や民族、地域主義など様々な紐帯に基づいた非国家主体もまた台頭しているのです。
当面「まだら状の秩序」を整序していく主体は見当たりません。地域大国の役割は大きいものですが、状況は未だ混沌としています。
その時、私たち部外者にとって重要なのはステレオタイプの枠組ではなく、現実にもとづいて分析する態度でしょう。本書は、宗派対立を宗教的観点でのみ見ようとする一般的な傾向を是正し、意味のある議論へと変えていくうえでの良き入門書といえそうです。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?