ナポレオンを脅かした女性〜『政治に口出しする女はお嫌いですか?』
◆工藤庸子著『政治に口出しする女はお嫌いですか? スタール夫人の言論vs.ナポレオンの独裁』
出版社:勁草書房
発売時期:2018年12月
フランス革命の前後、サロンを中心に精力的に言論・出版活動を展開した一人の女性がいました。女性が公然と政治を語ることはまだまだ憚れる時代に、臆することなく政治的議論に加わり、皇帝ナポレオンを脅かしたといいます。ジェルメーヌ・ド・スタール。一般にスタール夫人と呼ばれるこの女性の活躍は、20世紀が産んだ偉大な政治哲学者ハンナ・アレントに一本の道筋をつけたようにも思われます。
著者の工藤庸子は、フランス文学やヨーロッパ地域文化研究を専門とする研究者。本書ではスタール夫人が書いたテクストを読み解くにあたってアレントの著作を随時参照していきます。
当時のフランスにおいてサロンは独特の空間であったらしい。アレントの〈公共圏/親密圏〉という概念を援用することで、その歴史的な意義をより鮮明に浮かびあがらせます。
サロンはカフェと異なり、万人に開かれた「公共圏」というわけではありませんでしたが、外部から遮断された「親密圏」ともいいがたいものでした。裏返していえば「『若い男女の小さなソサエティ』としてのサロンの営みは『公共圏』と『親密圏』の両方に開かれ」たものだったのです。
そこでスタール夫人は、「公開性」や「世論」、「自由」や「個人」をキーワードに自由闊達に政治について仲間と語りあったのです。波乱の時代にあって、各方面から非難されることもあったようですが、啓蒙主義によってもたらされ、後には「民主主義」の要諦となる語彙の「繊細な運用」を示し続けたのです。
そこで重要なのは、スタール夫人は「語る」だけでなく「書く」ことにも注力した点です。当時にあっても、サロンでの朗読と書物の出版のあいだに、女性のみを対象とした厳しい「禁止」のラインが引かれていました。が、彼女は果敢にそのラインを踏み越えていったのでした。
……革命期のサロンにおいて女たちによって「語られた言葉」について証言し、その政治的な意味を分析し、「書かれる言葉」によって後世に伝えたのは、スタール夫人だけだった。(p44)
もっとも革命が恐怖政治に変わり挫折した後に登場したナポレオンによって、サロン文化は衰退します。「公共圏=政治=男性」vs.「親密圏=家庭=女性」という二元論的な秩序が「ナポレオン法典」とともに市民社会に定着することになりました。
ナポレオンによって破壊されたのは、啓蒙の精神と雅な男女関係に培われたサロン文化の伝統だけではありませんでした。女性の公共圏での政治的発言が封じこめられたのです。スタール夫人は、不穏な勢力にかかわったとみなされてフランスから追放されます。
それでも、レマン湖の畔コペのサロンに移ったスタール夫人は、語り、書くことを続けました。ナポレオンという名前を決して書かずにナポレオンが体現する理念や体制を間接的に批判するという巧妙な道をスタール夫人は選びます。ひと言でも皇帝への賛辞を公表すれば、ただちに追放を解くという内々の働きかけにもかかわらず、意地をつらぬいたのです。スタール夫人の遺著となった「革命論」は、積極的に革命と王政の宥和をめざす野心的な試みでもあったといいます。
スタール夫人とアレント。生きた時代は異なりますが、二人を並べることによって「女性解放のロール・モデル」としてのスタール夫人像がいっそう鮮やかに立ち上がってくるように感じたのは私だけではないでしょう。