新しい公共空間としての可能性〜『ショッピングモールから考える』
◆東浩紀、大山顕著『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市』
出版社:幻冬舎
発売時期:2016年1月
本書は思想家・東浩紀と写真家・大山顕がショッピングモールについて語りあった記録です。もっとも東は〈あとがき〉で、ショッピングモール「について」考えたのではなくショッピングモール「から」考えたのだと述べています。「ショッピングモールが世界中どこにでも存在してしまう時代において、都市のすがたは、建築のすがたは、そして自由のすがたはどのように変わるのか」。その変化の見取り図を描こうというのが本書の趣旨です。
ショッピングモールから考えるのは何故か。「東京にきて浅草に行っても東京の生活はない。モールこそ地方のリアリティがある」から。そうした東の認識をベースに「新しいコミュニティ」「新しい開放性」「新しい普遍性」の三つの観点からモールの可能性が追求されていきます。
ショッピングモールと商店街が対立的に捉えられるようになったのはとても不幸な図式だと思います。ラゾーナ川崎プラザのような駅前型のモールが果たす役割を考えると、従来の図式的な対立は当てはまらない。(東、p39)
二人がショッピングモールに熱い視線を注ぐとき、否定的に対置されているのは昔ながらの商店街ではなく、百貨店的な形態の商業施設であることは注目に値すると思います。〈ショッピングモール=ストリート=都市〉に対して〈百貨店=フロア=田んぼ〉という図式を大山は提示し、東もそれに同意します。
以上のような観点から論じられるショッピングモールは、なるほど興味深い都市空間のあり方を示しているように感じられなくもありません。どこでも同じようなサービスが受けられる普遍性。子どもや高齢者連れにも居心地の良い空間設計やエンターテインメント性。また大山が提起するショッピングモール・イスラム起源説も単なる思いつきとはいえ、いや、それゆえにおもしろい。
資本制社会の現状追認論!?
むろん手放しで推奨すべき本とも思えません。世界は今、放っておいても大資本によるショッピングモール化が進行中です。いかに斬新な視点が打ち出されていようとも、ここに展開される議論は基本的に現状を追認するものでしかない、という読み方も否定できないでしょう。あるいは自分たちで新たな楽しみ方や過ごし方を付加していくことが現状を変えていくことにつながる、と考えるべきなのでしょうか。
それにしても、東は「たしかに、みんな地元で満足して、地元で子どもをつくって、そこそこのところで幸せに暮らすのはすばらしいことかもしれないけど、それだけで新しい文化が創られていくのか」と地方のショッピングモールで充足してしまうことにはどうやら否定的なようです。実際、本書で言及されるのはもっぱら大都市圏のモールに限られます。
本書に面白味があるとすればあくまで都会人の放談としてのそれであって、それ以上のものではない、と記せば言い過ぎになるでしょうか。