天然知能_Fotor

自分が自分らしくあることを肯定できる唯一の知性〜『天然知能』

◆郡司ペギオ幸夫著『天然知能』
出版社:講談社
発売時期:2019年1月

人工知能。自然知能。天然知能。本書ではこの三つの知能のあり方を比較衡量します。そして天然知能だけが「自分で見ることのできない向こう側、徹底した自分にとっての外側を受け入れる知性であり、創造を楽しむことができる知性である」ことを示すのが本書のコンセプトです。

郡司は、世界に対処する仕方の違いから「知能」のあり方を三つに分類して話を進めます。

人工知能。……自分にとって有益か有害かを決め、その評価のみで自分の世界に帰属させるか排除するかを決定する。

自然知能。……自然科学的思考一般を指す。世界を理解するために、博物学的・分類学的興味から世界に対処する。

そして天然知能。……ただ世界を受け容れるだけ。評価軸が定まっておらず、場当たり的、恣意的で、その都度知覚したり、しなかったり。

「自分にとっての」知識世界を構築する人工知能。「世界にとっての」知識世界を構築する自然知能。対して、天然知能は「誰にとってのものでもなく、知識ですらない」。
例に挙げているのは、子供の頃、ドブ川でナマズを捕っていた著者自身のすがたです。「食べるためでも、博物学的興味からでもなく、ただ魚を捕り、しばらく飼っては、近くの沼に逃しに行っていました」という他愛もない体験にこそ天然知能は宿っているらしい。

人工知能や自然知能のような知性の働きを否定する地点に立つことはありふれたことかもしれません。その後どうするか。理性の暴走を戒めたり、論理では割り切れない神学的世界へ赴いたりするのは陳套ですが、理学博士の手になる本書ではもちろんそのような方向に向かうことはありません。あくまでも理詰めに話を展開していきます。天然知能それじたいは「天然」でも、その可能性の追究に関しては合理的な思考に沿って歩むのです。

郡司は三つの知能について様々な角度から時に先人の知見や実験、さらには現代詩などを引いて思索を経たうえで、天然知能の可能性を提示します。内容的には自然科学の次元を超えた哲学書といっていいでしょう。後半では思弁的実在論や「新しい実在論」にも言及するなど世界の哲学シーンの最先端への目配りもきいていますが、全体をとおして私にはいささか難解でした。その意味では本書を充分に堪能したと言い切る自信はありません。

ただそのなかで興味深く感じたのは、本書にあっては、言葉もまた「天然知能」であり、神経細胞もまた「天然知能」として認識されている点です。その認識に至る理路もまた私にとっては必ずしも理解しやすいものではなかったけれど、何やら私のような凡人を勇気づけてくれるような気がしたことも確かです。

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