文化的な社交の空間〜『図書館の日本史』
◆新藤透著『図書館の日本史』
出版社:勉誠出版
発売時期:2019年1月
公共図書館は私たち庶民にとってはなくてはならない基本的な文化インフラの一つです。しかし地方における緊縮財政を背景に運営を民間企業に委託するなどの動きも目立ってきました。また出版業界からは売上げに悪影響を与えるとして、時に批判的な言辞を浴びるようにもなっています。図書館はどうあるべきか。あらためて問われる時代になってきました。
さて本書は、図書館情報学・歴史学を専門とする研究者が図書館の歴史的変遷を通史的に描きだしたものです。良くも悪くも学者らしい手堅い筆致で、文献の細かな読解など途中かったるくなる箇所もなくはないのですが、興味深い挿話が随所にちりばめられ、読みでのある本には違いありません。
日本には古代から図書館がありました。奈良時代に大宝律令によって初めて設置された図書寮(ずしょりょう)は、現代の国立国会図書館・国立公文書館・宮内庁書陵部を兼ねたような施設。閲覧だけでなく一部の役人には館外貸出も許可していたといいます。当時の書物は今とは比べ物にならないくらい貴重品だったはずですが、保存よりも利用者への便宜を優先するケースもあったのです。これは一驚に値するでしょう。
太宰府にあった書殿では宴会も行われたという一文が万葉集に残っているのも面白い。研究者の間では書殿は図書館的なものという見解で一致しています。当時の貴族の宴は単なる酒盛りではなく、歌や漢詩を送り合う社交の場でもありました。歌を詠むために必要な参考文献が所蔵されている図書館が宴会の会場になってもおかしくないと著者はいいます。
神奈川県に現存する金沢文庫は初めて武士によって設立された本格的な図書館です。書籍文化の担い手が貴族から武士に移行したことを象徴するものといえるでしょう。そこでは身分の上下に関係なく僧侶や武家の女性も利用していたらしい。
戦国時代に最盛期を迎えた足利学校が、大学図書館の元祖という見方が存在するのも一興です。戦乱の世にあっても、あるいはそういう世だったからこそ武将たちは学ぶ意欲をもっていたという史実は示唆に富みます。足利付近に出兵した戦国大名が足利学校への乱暴狼藉を禁じる禁制を発した記録も残っているとか。
印刷技術が普及するまでは書写することが一般的に行われていました。本の貸し借りは書写することが前提だったと考えられます。
ちなみに応仁の乱は京都市街で戦闘が行われたものですが、その戦乱のさなかにも『古今和歌集』を借りて書写し、良質な写本として完璧を期するなどの文化的な活動が実践されていたこともわかっています。
書物の貸し借りや写本作成の依頼などをとおして貴族間のみならず天皇、僧侶、女官などを含めた人的ネットワークが近代以前に構築されていたという史実には一読書家としてなんだか元気づけられる思いがします。
江戸幕府を開いた徳川家康は「五倫の道」を世の中の隅々にまで知らしめるためには、書籍を出版することが「仁政」であると考えました。1599年に京都の伏見で出版を開始します。駿府城内に駿河文庫をつくり、江戸城内に富士見亭文庫を設立しました。いずれも家康の個人文庫といった性格のものですが、家光がこれを拡大発展させました。文庫管理に専任の書物奉行職を創設、慶応2年(1866年)に廃止されるまで、江戸全期間を通して90名任命されたといいます。
また江戸時代には識字率の向上に伴い、庶民レベルでも本を読む者が増えました。村々には「蔵書の家」がありました。当時の名主層は大量の蔵書を有していて、それを村人に無償で貸し出す活動も行っていたのです。蒐集した蔵書を惜しげもなく村人たちに伝えていることは、武士層の図書館よりも「今日の図書館に近い役割を果たしていたと考えられ」るといいます。
江戸時代というとマスコミも存在せず、民衆は重要な情報から目隠しされていたというイメージを持たれがちですが、決してそんなことはありません。村人たちは「蔵書の家」を活用して、娯楽から農業などの実用知識、そして世の中の動きまで知ることができたのです。(p220)
ここまで読んできた後に、福沢諭吉が日本の前近代の文庫には見向きもせず、西洋の図書館「ビブリオテーキ」の紹介に夢中になっているのにはほろ苦い感慨を拭いきれません。
維新政府は日本初の近代的な図書館として湯島に書籍館(しょじゃくかん)を開設します。やや遅れて納本制度も始まりますが、これは検閲をするために導入されたものです。
昭和戦前期には図書館付帯施設論争が巻き起こります。図書館界と文部省との間で争われたものです。前者は図書館をあくまで図書館本来の機能に沿ったサービスを住民に提供しようと考えたのに対して、後者は予算不足を背景に図書館にあらゆる社会教育を提供する施設になってもらおうと企図しました。著者はこの対立を「両者の図書館という施設に対する認識の相違」とみていますが、ありていにいえば「両者の立場の相違」が論争として表面化したものでしょう。
もっともその後、前者を代表して論争の矢面に立った中田邦造は、国民精神総動員運動の一環として展開された管制読書会を指導する立場になります。読書に対する彼の熱意は国家によって巧妙に取り込まれてしまったわけです。戦前戦中の激動期にはよくある話かもしれませんが、歴史のアイロニーを感じずにはいられません。
公立図書館の完全無料化は、戦後になってGHQの力でようやく実現されました。その後、若手図書館員らの活動や市民運動の力で「利用を第一とする」図書館が次第に形成されていきます。
こうして図書館の歴史を振り返ってみますと、官主導の図書館と民間レベルでの図書・情報ネットワークの二つの潮流が相互に補完しあいながら推移してきたといえます。明治以降は西洋から導入された近代的な図書館に押され、民間のネットワークは縮小されてしまいますが、現代ではあらためて様々な活動が展開されています。
昨今は図書館の雰囲気も活動内容も以前に比べると様変わりしてきました。私がよく利用する市内の図書館では数年前から「おしゃべりOKタイム」を設定して、本に関する情報交換をしている利用者の姿をしばしば見かけるようになりました。それに類する試みは他でも行われていると聞きます。
図書館とは静かに本を読む場所と認識している利用者が未だに多いようですが、それはさして根拠のない個人的な固定観念にすぎません。本書を読むと昨今の図書館の様変わりはとくに現代的な風潮というわけでもなく、過去の図書施設の歴史と重なるものであることがわかります。図書館のあり方を再考するうえでも参考になる本といえるでしょう。