社会学_Fotor

世間話の延長としての〜『社会学』

◆加藤秀俊著『社会学 わたしと世間』
出版社:中央公論新社
発売時期:2018年4月

社会学者・加藤秀俊による肩のこらないエッセイ集とでもいえばいいでしょうか。「集団」「コミュニケーション」「組織」「行動」「自我」「方法」をキーワードにした章立てをして、新書らしく読みやすい構成といえましょう。平易な語り口ですが、内容は滋味に富んでいます。

社会学とは何か。どのようにあるべきか。そうした基本的な問いに対して、狭義の社会学だけでなく人類学や民俗学、歴史学など隣接する学問をも視野に入れながらいくつもの答えを提示していきます。

まず、社会学とは「世間話」の延長線上にあるものだといいます。社会とは「society」の訳語ですが、それ以前からそれに相当する言葉として「世間」がありました。すなわち社会学とは世間についての学問ということです。日本では古くから世間話の集大成のような著作がいくつも書かれてきました。松浦静山の『甲子夜話』や太田南畝の『一話一言』などです。芸術の分野では浮世絵などもその名が示すとおり浮世すなわち世間を描いたものといえます。G・H・ミードのいう「見られる自我」「一般化された他者」も加藤にかかると「世間」「世間の眼」とひらたく言い換えられます。

世間の学においては法則や公理などというものはなく、文学性が求められるという見解も、「話」である以上、自然に出てくる考え方でしょう。そういう意味では『断片的なものの社会学』を書いた岸政彦が本当に文学作品に向かったのは自然な流れなのかもしれません。

社会学という学問は極言すれば「ふるさとの学」なのであるともいいます。宮本常一やロバート・リンド、エヴェレット・ロジャースなどの例を引いて、そのように言うわけです。宮本は故郷の山口県周防大島を終生愛しました。全25巻におよぶ著作集のどの巻をひらいてみても「そこには周防大島の住民としての著者の息づかいがかぐわしく立ちこめている」。
また、アメリカ中西部に誕生したアメリカ社会学にとっての「社会」とは抽象的な「社会一般」ではなく、特定の地域社会とそこで暮らすひとびとのことにほかならなかった、と著者は書きます。

もちろん、自分の生まれ故郷だけが「ふるさと」なのではありません。その気になりさえすれば、いつでも任意の「第二のふるさと」をつくることができる。つまりは地域に愛着をもって、その地における人々の生活を観察し、あるいは体験することから社会学は始まるということなのでしょう。

このほか、随所に社会学の豆知識が盛り込まれているのも勉強になります。

たとえば、人間の相性について本格的に研究したのは米国の戦略空軍だったとか。無差別爆撃機のチームワークを重視し、心理学者モレノが提唱した「社会計測学」を導入したのだといいます。
米国のハースト系新聞がスペインを非難するような捏造記事を掲載して米西戦争の機運を煽ったというアメリカジャーナリズム史の一コマも現代人には教訓的かもしれません。

各章の末尾には参考文献リストが掲げられているので、社会学関連の読書ガイドとしても役立ちそうです。私自身、社会学者の手になる著作は数多く読んできましたが、あらためてこの学問への関心を喚起させられました。もちろん初学者を社会学へ誘うという意味でも良き道標になりそうな一冊だと思います。

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