徒然諸々 王谷晶『てづから』を読んで
書くことがない。
なので、『文藝 2022 冬季号』を読みました。
普通は第59回文藝賞発表だから買って読んだとするんだろうけど、わたし文藝賞に一度も応募したことがない。だいたい『文藝』は時期が過ぎた物を貰うばかりで買ったこともない。今回初めて書店で手に取り買った訳は、王谷晶さんと北村紗衣さん加藤陽子さんの名前があったからです。相変わらず王谷晶さんが書くモノは面白い。
ツイッターや近影などで垣間見る、王谷さんの心情は"こんな感じ"だろうと察せられる、事務職の女性が主人公の短編小説でした。王谷さんはきっとファンシーな物が死ぬほど苦手なんだろうと思われるので、そのように心情を吐露する主人公絹田にニヤリとさせられました。
ただ、いちいちファッションブランドを明記する書き方は、絹田の心の弱さのように思えるので少し不満でした。『レス・ザン・ゼロ』以来都会に住む寂しさを抱える若者を描くとき、持ち物のブランド・メイカー、商品名まで正確に書くのが定番になっています。これは空虚な心模様と共に寂寥さも同時に伝えようとしている表現かとおもいます。虚栄心かもしれませんが。あえて個性を意思表示しない「しまむら」や「ユニクロ」の服を着て、イケヤやニトリの家具、アイリスオーヤマ家電で十分に満ち足りている部屋に住んでいる、としたらどうだろう。独り立ちした大人という風になり絹田に心が寄せられたように思います。何かいちいち格好つけた生活とファンションが鼻につきました。大人の女性の生き方として、モノトーンの服とシンプルな内装の部屋に住み、ミニマリストのように何も持たない暮らしはカッコイイだろうねー、たぶん。しかし、人間的な陰影が乏しい。ファッション雑誌のページのようで、インテリア雑誌のグラビアページのような、無味乾燥な人となりしか感じられないと思いました。しまむら、ユニクロ、イケヤ、ニトリ、アイリスオーヤマ、ダイソーを利用して生活している社会人も十分に匿名性が強く、無味乾燥だろけども、鳥山さんに対抗する絹田の生活スタイルはユニクロ、イケヤが丁度いいと思うんです。定番の商品を当たり前に使っている。こだわりは安いことデザインが奇をてらってないこと、一年持てばいいこと。誰でも見ただけでユニクロの服と分かり、イケヤの家具と分かること。ユニクロのようでユニクロではないこだわりとか、イケヤでもないニトリでもない家具のこだわりは、絹田に合わない気がしました。
あと気になったのは、すでに幼稚園ころから手作りの物への嫌悪感。(177ページ8行目から)直接「作り物」を嫌っていると表現されていませんが、可愛い物が嫌い、アンパンマン、サンリオグッズ、その他も(直接書かれてないが、たぶんデ○ズニーも、ジ○リも)嫌いだったとあります。同じ次元で「作り物」も嫌いだったでしょう。幼稚園での図工の時間、お絵かきの時間は地獄だったでしょう。
幼稚園、小学校の頃はまだ家から包装紙や空き箱、ヤクルトの空きボトル、ペットボトルなどを家から持って行き、図工の時間に工作をしてたと思うんです。図工の先生から貰える油粘土や紙粘土、折り紙、ボール紙、セロハン、フェルトなどの材料で「変な物」を作っていた思うんです。そのような物に嫌悪感を抱き、ゴミを製造していると感じ、見るのも嫌、まして自分で作るなんて発狂するほど嫌では、絹田の幼稚園、小学生の時代は地獄以外になく哀れに思います。まあ、せめて小六か中学の美術の時間に自分で工作や絵画制作をしなくなった。美術の時間に何も制作しなかったの通信簿は最低だった、美術の時間は美術室での授業を受けずに屋上に隠れていただから通信簿は最低だったくらいに告白は止めて欲しい気がします。
そういえば、毎月、日曜日に行われたフリーマーケットにも誰かが作った「作り物」が必ず100円、200円、300円という値札が付いて売られていたのを思い出しました。あれは小学校に通う誰かか、その家族の誰かが作ってフリーマーケットで売っていたんでしょうねぇ。
わたしの亡くなった祖母はデイサービスでの、絹田が嫌悪するあのような「作り物」制作が嫌で、福祉サービスが行われている場所にほとんど行かなかったです。ショートステイも嫌がった。でも、祖母の二人の娘たちはあの「作り物」制作が大好きでした。結婚した先で、地域の和に入るためには近所のみんなで集会所などに集まって、同じ作業をすることが大切だったからかもしれません。断っていたら近所から仲間はずれにされてしまうのかもしれないし。叔母たちは何十年といろいろと制作してきました。
だから昔から家には叔母二人が持ってきた「作り物」が各部屋にありました。「作り物」はいつまでも飾られてたわけではなく、時期が来れば捨てられました。叔母たちも古い物が片付けられても気にしてなかったので、新作が次から次と届けられました。「汚れたから捨てた」「壊れたから捨てた」と正直に言えば、祖母を許して替わりの「作り物」を持ってきて飾っていきました。
それを子供の頃から見ていたわたしは、ゴミとも芸術品とも思わないで育ち、当時は――言葉にすれば大げさだが――『諸行無常だなー』と感じてました。
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