【ルーツ】わたしの名前についてわかったこと
【ルーツ】に関して、
調査してきていますが、
まさかのコロナ禍で、
調査地に飛んで行くことができず。
どうしてかと言いますと、
わたしの母、弟2人が、国難病でして、
万が一、感染させてしまうと、
いのちの危険が及んで
しまうからなんです。
母が、腎嚢胞、パーキンソン病
上の弟が、腎嚢胞で、透析中。
下の弟が、腎嚢胞で、糖尿病。
唯一、わたしだけが、
難病から免れています。
もうひとつ、
この時代、個人情報を
漏洩させない難しさがあります。
ネット上では、
いろいろ調べることはできましても、
やはり、現地へ行っての調査が重要です。
今年は、壬寅歳、わたしも還暦で、
今年までは、
歳回りも悪く、
西日本への旅が、方位的にも悪く、
それが、コロナ禍と重なり、
神仏さまから、
御咎めされたように思います。
不思議なものです。
今回、わたしの名前に関しまして、
わかったことがあります。
わたしの名前は、日蓮正宗の住職さんが、
中国の漢詩から採られたということを
聞いています。
いろいろ、漁りまして、
「李白」であることが
判明しました。
「李白」の五言古詩の中の、
「清溪の行(うた)」
(壺齋散人注)
紀 頌之さまが、
李白について、
訳注解説されていらっしゃる
ブログがあります。
その中から、シェアさせていただきました。
五言古詩
李白72清溪行
清溪清我心 清溪 我が心を清くす
水色異諸水 水色 諸水に異なる
借問新安江 借問す 新安江
見底何如此 底を見ること 此と何如
人行明鏡中 人は行く明鏡の中
鳥度屏風里 鳥は度る屏風の里
(うち)
向晩猩猩啼 晩に向(なんなん)と
して猩猩啼き
空悲遠游子 空しく遠游子を
悲しましむ
清溪の流れは我が心を清くし、
水の色は他の川の比ではない、
尋ねたい、かの新安江の水も
底が見えるほど清いというが、
こことどちらが上だろうか
人が岸辺を歩むとその影が鏡のような
水面に映り、
鳥が屏風のように切り立った
崖を飛びわたる、
黄昏時には猩猩が哀れな声で鳴いて、
道行く旅人を悲しい思いにさせる
清溪は安徽省秋浦の近くを
水源とする川の名、
水が澄んでいることで有名だったらしい
○清溪 安徽省貴池地方を北西に流れて
長江にそそぐ川。
その西側を流れる、秋浦河とともに
その美しさにより景勝地となっている。
別名、白洋河。
○「行」は詩歌の一体。
○借問 少し尋ねたい。
○新安江 浙江省の大河浙江の
上流部分あたりの呼称。
中流は富春江、下流は銭塘江で、
六朝以来の自然叙景の詩跡(歌枕)と
なっている。
○明鏡 明るい鏡。水面の清澄をいう。
○猩猩啼 大型の猿の鳴き声。
旅人の悲哀を増すものとして
詩歌につかわれた。
○遠游子 故郷から遠く離れた旅人。
○韻 水、此、裏、子。
清溪 我が心を清くす、
水色 諸水に異なる。
借問す 新安江、底を見ること
此と何如。
人は行く明鏡の中、
鳥は度る屏風の里(うち)。
晩に向(なんなん)として猩猩啼き、
空しく遠游子を悲しましむ
新安江、とは、
中国の浙江(せっこう/チョーチヤン)省と
安徽(あんき/アンホイ)省を流れる川。
銭塘江(せんとうこう/チエンタンチヤン)の支流の一つ。
わたしの名前は、「安江」です。
●日本の地名では、
に、あります。
●名字としての由来は、
石川県金沢市安江町付近(旧:安江保)から発祥。
戦国時代に記録のある地名。
同地に平安時代に、
安江氏が居住していたと伝える。
岐阜県加茂郡東白川村神土に、
南北朝時代にあった。
同地では
三重県中部(旧:伊勢国)の出と伝える。
日蓮正宗の住職さんが、なぜ、
これを選んだか。
「安」とは、安らかな。家守り。
「江」とは、大きな川。
脈々と続く。
という意味があるので、
採用した、ということは聞いています。
それが、どこからの漢詩なのか、
最近、いろいろと、
ネット上で漁っていました。
それが、李白であり、
中国の新安江であることが
わかりました。
現代は、マンガから採用したとか、
ことだまに合わせて漢字を充てたとか、
占い師につけられたとか、
ありますが、
昭和三十年代は、
戦後、浅い時期でもありましたので、
住職さんや宮司さん、先生、
しいては、祖父母から
つけてもらったことが多かったんです。
でも、「江」は、子ども時代、
好きではありませんでした。
同級生は、
「子」「美」が多かったんです。
憧れましたよ。
でも、こうして、歳を重ねていき、
その意味を知りますと、
なんとも、味わい深い。
まさかの、「李白」とは。
それまた、不思議な、エニシ、です。
https://colorfl.net/rihaku-matome/
い、今、気づいた!!
このダムの門、9つ、だ!! ゲッ!(꒪ꇴ꒪|||)⚡
く、九頭龍、やんか!!
この暴れぐあいは!
3年前から、九頭龍の名前が、
チラチラ来る。
コロナ禍が収束したら、
箱根の九頭龍神社に
参拝に行こうかと思っていました。
その3年前に、
たまたま知り合った女性のご先祖さまは、
小田原城の城主にもなっていた
殿様の子孫だった。
どうも、箱根神社、九頭龍神社を
信仰していたらしい。
今は、おつきあいはないけど、
とにかく、あれから、
「九頭龍」の文字は消えない。
なにか、あるのかもしれない。