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8月8日で、今日は「ライオンズゲート」を通る日だと言われているので、うちの猛獣にお出ましいただく。ライオンズゲートは宇宙イベントらしいけどそこは専門家にお任せするとして。最近、価値観が根こそぎひっくり返ることが多い。

実は、歴史の常識、医療の常識、食べ物の成分の常識、教科書の常識、進化の常識、子どもについての常識、音についての常識、、、
全て、後から「別の意図」を持った世の支配者によって、作られて、信じこまされてきたものだった、という証拠があちらこちらに出されていて、ほんとに驚く。

多くは、自分で調べて、自分で判断していかないと、仕方ないことかな、と思うけど、

そんな中で、自分の中で最も衝撃だったことがある。


自分が気がつかなくて、ショックだったこと。


それは、


「動物は、食べ物ではなかった」


ということ。


いいとか、悪いではなくて、

食べ物ではなかった。


シンプルにこれ。


生きていくために命をいただき、感謝しながら生かさせていただく。


これは、地域によって、時期によって不可欠だったと思う。


不食の人でない限り、

植物だって生きてるわけで、命を犠牲にしながら、その大きな輪の中で生きているわけだから、

殺して食べることが悪い、とは言わないし、言えない。


殺して、食べてるからね。


ただ、
食べるものだ、

食べないと栄養がたりない、

一日、これくらいの肉のタンパク質は摂らないといけない、

というのは、わたしの中の認識の間違いだったと改めて気づいて、自分がそら恐ろしかった(~_~;)


もちろん、いろいろ知っていたし、
わかっていたつもりだし、
いろいろ学んではいた。


と、思っていた、、、。



でも、違ったね(~_~;)



どこか、冷静な自分が居て、

動物には心があって、殺されるのは、どの動物も嫌だろうし、でも、食べる時は、別。

みたいに、冷たく捨てて割り切っていたような自分が居た。


でも、少なくとも、

動物は食べ物だ、

もしくは、閉じ込めて観察、鑑賞していい、人間以下の、権利のない生き物で、
人間がより良い世界のために、利用していい生き物だ、

とは、思わなくなったし、

それが自然に植え付けられたようなところで生きていたし、それが当たり前と思うような自分が居た、ということが、気づいてからはそら恐ろしくなった。


もちろん、知っていたし、いけないとも思っていたのに、だ。


もっと深く理解してからは、
そういうことを当たり前だと思っている自分がまだ居たことに、ショック、というか。。。


動物に話しかけるし、
伝わるのも知っていたから、そう接してきたけど、

SNSで、動物の動画をいつも観るようになっていた中で、最近は特に海外からも、驚くような動物の動画を、当たり前のように観られるようになって、ほんとに驚いている。


動物の感情の豊かさ。

動物の愛情の深さ。


なんなら、人間よりずっと愛情が深い。


動物は、自分が食べるために動物を殺したりもするけど、

必要な分しか殺さないし、食べない。


ライオンなんか、結構狩りに失敗して、1週間くらい食べられないこともあるらしい。

ヘビだって、ネズミを丸呑みするといっても、知り合いは、たった3ヶ月に一回ヘビに与えれば、あとは全く食事をしない、と言ってずっと可愛がって飼っていた。


そんなに、動物はやたらめったら、殺して食べない。


人間が動物を殺す、殺さない、ということに関しては、いろいろな立場でいろいろな意見がある。


動物を一匹も殺さなければ、いいのか、となると、
じゃあ、捕食し殺して食べる動物も居ない中、
ネズミや猫や鹿やヤギが繁殖し続けても大丈夫なのか、

とか、また、生態系は輪になってこれまで続いてきてるから、

そこはまた、問題も出るだろう。


ある日本の無人島で、昔、人が住んでいた頃にヤギをほんの数頭だけ連れて行って、その後誰も住まなくなったのでそのままにしておいたら、

20年位の間に大繁殖していて、無人島の木や草が無くなり、保水出来なくなった山は崖崩れだらけ、
それは大変なことになっていた。

もし、これを放っておけば、やがて食べるものもなく、山は死んで、荒れ地になった小さな無人島では、ヤギの方がやがて、増え過ぎてほとんどは飢えて、結局死んでいくだろう。


かわいい猫でさえ、例えば数が増え過ぎれば、大変なことになる。
頭数管理で、去勢したりもしているところもあるけど、もの凄く増えたところでは、それはそれで誰かが餌をやり続けないといけないし、
だからと言って、去勢ってこと自体、人の元で命の管理をすることだから、本来の命の在り方とはかけ離れたことにはなっている。。。


田舎では、鹿が増え過ぎて、木も草も食べ尽くされて、山が荒れて、人が生活すること自体が大変になっている。


だからと言って、殺すのはかわいそう、、、


そうなると、多頭になり過ぎて多分、ヤギみたいに、殺さなくてもそのうち、増え過ぎて飢えて死んでいくだろう。。。


だから、
動物は食べ物
食べ物としてだけの命、


ではなくて、

命の輪の中で、ありがたくいただくこともあって、
食べ物ではないから、取り過ぎない、
いただく時には命に感謝する、


食べなくても済むなら、食べない選択もあり、

代わりの食べる物も、量も工夫していく、とか、


人の嗜好や、楽しみのために殺さない、とか、


「食べ物ではない」

というところから、考えて選択しようと、反省した。


鶏は暮らしている人間の子どもに駆け寄って、首を腕に乗せてスリスリする。

猫も犬も、人間が危険な目に遭った時、相手がはるかに大きな体の熊でも、立ち向かって助ける。


犬は、赤ちゃんをあやしたり、
ベビーベッドを揺らしたり、
はだけた布団をかけなおしたりする。


昔、子猫がわたしの負の運命的なものを、身代わりになって亡くなって、持ち去ってくれた体験をしたことがある。


これは長くなるので端折るけど、
世の中には理屈を超えて、人智を超えた、自分の力ではどうにもならないようなことが起こったりする。

そして、見えたり聞こえなくても、それを知ることができたり、わかることもある。


死ぬとか生きるって、いいとか悪いじゃないんだ、ってよく先輩に言われるんだけど、


命とは、人がコントロールするものでも、
できるものでもないんだろうな、と思う。


落とし所を、
はるか昔のネイティブ・アメリカンや、
縄文かな、、、
昔の先人の知恵からも考えたい。


落としどころを間違うと、
戦争とか、淘汰になるもんね。


人を淘汰すれば、自然も動物も救われる、という人もいるもんね。。。


それも困る(^◇^;)


ヤギも鹿も猫も馬も、鳥も牛もネズミも淘汰されず、
人も淘汰されず、、、


共生という、落とし所のある、


そんな場所に、ライオンズゲートをくぐって、たどり着けたらいいねえ。



動物は食べ物ではない。


身体の構成要素でもない。



他は、

まだまだ、未熟で、理解できない(^◇^;)




ライオンズゲートだというので、うちの猛獣に猫のエフェクトをかけていたら、

こんな話になってしまった(⌒-⌒; )


でも、これを考えたり、
共生への選択ができるのが、私たちだもんね。


変える力があるのが、私たちだもんね^ ^



ゲートの先のお楽しみ^ ^


今日も、皆さまにとって、喜びにあふれた一日でありますように。



戸張碧月

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