《元に戻ってほしくないこと》
――パオロ・ジョルダーノ著『コロナ時代の僕ら』を読んで――
カミュのペストに続いて、センセーショナルな本を読んだ。作品は27の細かな章と邦訳の際に著者あとがきとして付された断章「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」から構成されたエッセー集である。彼の住むイタリアの様子と、その混沌の中にあって彼が考える過去・現在・未来への痛切な批判が飾り気のない文体で語られる。
著者ジョルダーノはストレーガ賞の受賞経験もあるイタリアを代表する現代作家の一人らしい(私の無知からではあるが、この本を知るまで彼を知らなかった。ハヤカワepi文庫から代表作『素数たちの孤独』が刊行されているそうなので、作品に触れたことのある方は多いのかもしれない)。素粒子物理学で博士を取得している著者ならではの科学者としての冷めた視点と、イタリア的な愛と情熱に裏付けられた感覚が融合していて、興味深い一冊となっている。
著者は語る。《感染症とは、僕らの様々な関係を侵す病だ》今回の感染症を通じて、明らかになったこと、その最たるものは人々を結びつける《層(レイヤー)》の多様化だという。グローバル化、この抽象的な言葉の裏で、世界はますます高速に、複雑になっていた。世界的な規模で、人から人へ感染するウイルスは個人を破壊する前に、この層=関係を破壊してゆくのだ。
このエッセーに息を吹き込み、面白くしている最大の要素は引用であると思う。引用という手法は、先に述べた層=関係そのものだ。
《誰もひとつの島ではない》ジョン・ダン
《われらにおのが日を数えることを教えて、
知恵の心をお与え下さい》詩編第九〇篇
このように、過去の言葉、先人たちと直接に連なろうとする姿勢は、失われた関係への力強い働きかけであるように思う。
最後に、私がこの本で最も惹き付けられたのは最後に付された著者あとがき「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」だ。日常に戻りたいという思考の中には、すべての恐怖を忘れたいという暗い欲望がある。著者は、この内面の欲望に抗うようにして、忘れたくないことを並べてゆく。元に戻ってほしくないこと、それについて《今》考える必要がある。だからこそ、私も《忘れたくないことのリスト》を作ろうと言いたい。やがて、確実に来るべき、未来のパンデミックに向けて。