バチェラージャパンから学ぶ、本当の「与える」ということ。
「与える」って、こと、私はもともと好きな方だと思います。
相手が喜ぶことってなんだろう?って先回りしてやってみて、喜んでくれたら嬉しかったり。
でも、この「与える」ということが、
距離感が近ければ近いほど難しいものだと、前の結婚生活で学びました。
で、そんな中、少し前に話題になっていた「バチェラージャパン」の中に、本来の意味の「与える」ということができている方の姿を見て、すごく感銘を受けました。
今日はそのお話しをしていきたいと思います。
なぜ与えることが難しいのか?
なぜ難しいか、って。
それは、相手に期待するから。
相手からの見返りを求めるから。
例えば、脱ぎっぱなしの洋服を、ちゃんとハンガーにかけておいてあげた時に、相手からの見返りとして「ありがとう」の言葉を期待する。
「このままクシャクシャだと次着る時困るから、かけてあげよう」
と相手を思いやる気持ちから生まれた行動なのに、相手からなんの反応もないと、
「えっ?やってあげたのに、なんで気づかないの?お礼も言わないの!?」
って、イラッとすることがある。
それが1回や2回ならまだいいものの、
生活の中ではそれが、2回、3回、10回と続くこともある。そうすると、「なんで私がこれだけやってあげているのに!!」と勝手に与えて、勝手にキレるというどうしようもない劇場を日常に繰り広げてしまう。
そんな時、私がやっていたことというのは、しっかりと見返りを求める、ということ。
「ねぇねぇ、みてみて!これね、床にグシャってなってて、そのままじゃ月曜日困ると思って。だからかけてあげといたよ^^だから褒めて!」
と相手に言えば、
「ありがとう」と言ってくれる。
やってもらった本人は気づかないものなのだ。
ま、こうやってするのは悪くないとは思う。
でも、見返りを求め続けるのは限度がある。
そこで必要なのは、本当の意味で「与える」ことをしていくこと。
本当の意味の「与える」とは?
相手に見返りを求めることは、与えて、見返りをもらう、という「取引」になってしまっている。これは本当の意味では与えていない。
本来の意味の「与える」とは、相手がやってもらって嬉しいことを、自分がやることで、自分も幸せになれること、だから。
でも、これって頭でわかっていても、結構実践は難しいよな、って思っています。でも、「バチェラージャパン」をみていた時、あーまさしく与えるだな、というシーンがあったのです。
ネタバレありますが、ちょっと引用させていただきます。
バチェラーと、候補者の女性のお父さんとの会話で出てきた言葉です。
「自分がやりたいことをやっている、家族の食事を作って家族が喜んでくれたら私の喜び。母親を介護しているけど、自分が赤ちゃんの時にお世話になったんだから自分がそれの逆をしても幸せ。自分の親のためにそれができることが幸せ。」
バチェラージャパン シーズン4 エピソード7より
こんな言葉を、涙ながらに、このお父さんは語るのです。
(前後の文脈を含めて、ぜひぜひこのシーンはみてほしい。)
私はこんな境地まで死ぬまでに行けるのか、わかりませんが、
本来の意味の「与える」こと、
相手がやってもらって嬉しいことを、自分がやることで、
自分も幸せになれること
をしていきたいな、と思ったのでした。
何かのヒントになったら嬉しいです。
* Mayu(コーチ・カウンセラー) *
幸せに生きるヒントについて発信しているので、もしよかったらフォローしてください^^
あなたのテーマに合わせたコーチングをやっています。
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普段はIT企業ではたらく35歳。2022年夏に海外移住を予定。
離婚を機に心理学・コーチングなどに興味を持つ。”枠にとらわれず、のびのびと生きる”を実現したい人のお手伝いをするのが目標。自己肯定感に関する数々の本の著者でもある根本裕幸カウンセラーに師事。