総合商社に内定した就活虎の巻(前編)
こんにちは。ろんです。
今回は、私が総合商社含む複数の企業から内定を勝ち取った就職活動の方法(前編)について紹介します。
就活前の不安
心配性の私は、大学入学当初から、自分の希望する会社に就職できるか不安に思っていました。
皆と同じような学生生活を過ごし、どうして私が就活で頭一つ向けることが
可能なのか確信が持てませんでした。
『自分はコミュ力も人並みにあるし、運も持っているから、就活はなんとかなる』、と妄信できるほどポジティブな性格ではありません。
しかし、18歳の田舎から出てきた私に”特別なことをする”行動力はなく、そもそも何をすべきかアイデアがなく、人並みに勉強し、サークルに入り、バイトに行く、といった学生生活を送りました(そんな迷える大学入学後の私に向けて書いたのが、大学生活の見取り図です)。
これではダメではないか、薄々気づいていながらも見て見ぬふりをして、行動を劇的に変えることができないまま、居心地のいい日々はあっという間に過ぎていきました。
当時、就活の本選考は4月からだったので、毎年秋になると3年生のサークルの先輩は引退し、リクルートスーツを身にまとい、キャンパス全体で「就活」が始まりました。
下級生の私は、髪を黒く、短く整えた先輩の姿を見て、昨日まで同じ学生だったのに、いよいよ社会に出て行ってしまうのだな、と突然遠い存在に思えました。
当事者ではない就活は一瞬で結果が出るように感じられます。
半年弱の「就活」の結果は残酷なものでした。
サークルの幹事長、副幹事長だった2人の先輩は、幹事長は総合商社4社から内定をもらい、副幹事長は様々な企業にエントリーしたものの文房具メーカーからの内定しか出ませんでした。
後輩から同じくらい慕われていたその先輩2人を見る目は、「就活」を経て残酷なほど一変しました。
「さすが〇〇さん。絶対、就活無双すると思ってた。△△さんは、就活ウケしないんだろうね」
就活にはやり方がある
私は2人に同じくらい世話になっていましたし、就活の結果で対応を変えるなんて薄情だなと思いました。
だけど、この人とあの人の価値を分けるものは何か、気になりました。
それを「就活力」と呼ぶのでしょうか。
○○さんが好んでよく来ていたキャンパス近くの食堂で待ち伏せして、「就活のやり方を教えてください」と素直に聞いてみることにしました。
関西出身の先輩は、話にオチをつけたがるのでサークルの皆の前で聞いても真剣に答えてくれないと思ったからです。
その先輩曰く、就活にはやり方があるということでした。
聞き慣れない言葉が口をついて出てきます。
外資就活ドットコムに登録
2ちゃんねる就活偏差値を意識する
サマーインターンで箔をつける(外資メーカー・外資金融)
ビジコンで優勝する
フェルミ推定をマスターする
コンサル・外銀・商社のビジネスモデルを理解する
TOEIC800点以上を取る
自分の好きなこと、年表を1冊ずつノートにまとめる
その先輩は関西弁で喋りが上手く調子がいいから、ノリで内定が取れたと思い込んでいました。ところが1、2年の頃から、着々と就活に向けた準備を進めていたのです。先輩の父親は総合商社に勤めていたため、アドバイスをもらいながら、就活の方法を確立していったようです。
世の中平等ではないな。
私の父親は中小企業に勤めているため、就活の相談はできなそうです。
しかし、先輩からの情報を頼りに上記のポイントを全ては無理だとしても、
少しでもクリアできれば総合商社1社くらいは内定がもらえるのではないかと考えました。
それを頼りに、自分なりの「就活」を手探りでスタートさせることにしたのです。
以上、今回は総合商社含む複数の企業から内定を勝ち取った就職活動の方法について前編を書きました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ろん