見出し画像

第二十七話 ガンバレ、日本車!-第二の人生

PASMOをタッチして、バスに乗り込む。
いやいや、ここにそんな物はありません。
 
 でも確かにこのバスは日本のパブリックバス。
何故か東急バスが、ここビルマに。

しかも乗客を乗せ、長距離バスとして。

どういう事だ?
東急がビルマに進出してる訳は無い。
実はこの時はまだまだ新車などが手に入る事はなく、その多くは日本から輸入された中古車だったのです。

このバスもどうやら、同じく、引退して、ここで再就職したバスのよう。

振動の度に「次止まります」のランプが光る。そして、その度、運転手がそのランプを消す笑
ウチは直ぐ近くがバス停だったので、この東急バスは常に乗っていた。
しかし誰がこんな遠く離れた国で東急バスが長距離バスとして第二の人生を送り、そして走り、再び日本人を乗せる事になると思ったでしょうか?

このおかしさ。しかしバスに乗る外国人は僕一人。なので日本人も僕一人。誰にも共有出来ないこの不思議な面白さに、一人ニヤついていました。

勿論、長距離用に作れられていないものだし、ろくに舗装もされていないこの道にはかなり厳しい。
それでも日本のバスはそんな悪路にも動じる事なく、堂々と走っているのです。

 しかし悪路を除けば、その景色は最高。まるで中国の桂林のような景勝地を通り過ぎる。

ガイドブックなどにも記載されていないところでも、最高の景色はまだまだあるようです。

胃下垂になりそうなくらいに縦揺れをするバス。
頑張れ、日本のバス!
 
そんな素晴らしい自然の景色を堪能した後、町へと入る。
 
「あれ?」
すると今度は街中で「佐川急便」のトラックと出会いました。
「佐川急便、ビルマ支社。。。?」
ないですよね、きっとそんなの。
他にも日本の中古車がここビルマでは大活躍してました。大阪の弁当屋さん、福岡の建設会社のバン、ヤマトの車などなど。
遠いこの国で日本の中古車が活躍しているなど、誰が想像したでしょう。
 
 途中の町まで僕らを運んでくれた日本のバス。
お疲れ様。

現役時代、日本で毎日走り、引退。
きっとこれからこのビルマで大事にされ、第二の人生を歩むのでしょう。
(現在は綺麗な日本車が溢れ返っていて、この頃の古い日本車が走っていた頃が懐かしい)
 
 そこからはしっかりとした観光バスのような物に乗り換える。これなら大丈夫だ。僕はホッとする。
まさか夜通しあのバスで、首都ラングーンまで行くのは、さすがに厳しいので。。
 
 しかし今度はまた、新たな問題が発生しました。
隣の席に座ったのは、テキサス出身の大男。これが規格外なんです、座席に対して。
僕らアジアの人間には丁度でも、彼には狭すぎるこの座席のサイズ。
 このバスに乗る外国人は、僕とそのアメリカ人のみ。どうやらチケット売り場の人が気を利かせて、席を隣にしてくれたようでした。

でも、それは逆に有難迷惑。

彼は二つの席の2/3以上を占めてしまうので、彼が僕の隣に座ると、圧死しそうなくらいに狭い。彼も気を使い小さくなるが、それでも限界がある。
バスがカーブに差し掛かるだけで、窓側席の僕はキューっと押し潰され、本当に死にそうになる。

「もう限界だ!」

僕は運転手と車掌に言いに前へと行く。
「あの席はあんまりなんじゃないか?どう考えても、二人座るには無理があるよ。新しく座席が欲しい。」
僕は何度も潰れかけていたので、少し怒りながら言う。
するとビルマ人の車掌と運転手は、
「う~ん、見てもらえば分るように、座席はどこも一杯なんだよ。申し訳ないんだけど。。」

「でも、あの席でどうしたら良い?あれじゃ、絶対に眠れないし、むしろ、このまま永眠コースだよ。マジでさ。あいつ、太り過ぎなんだよ。なんとかしてくれ。」
太り過ぎはどうしようもないけど、ビルマ人は非常に親切なのであれこれ考えてくれる。

そこで用意されたのが、車掌の座席である二人掛けの座席と座席の真ん中の簡易シート。
ビルマ人の車掌さんは入り口階段の所、床に座り、僕は座席を譲ってもらう。
なんて親切なのだろう。。
僕は怒って自己主張ばかりしていた、自分を恥じた。
 
やっと座席も用意されたし、これでやっと眠りにつける。
 
 夜の12時を過ぎ、バスの中も静かになってくる。すると隣の男の人が僕の肩を枕にして寝る。
いやいや、カワイイ女のコならいいけど、ちょっと待ってよ。
すると今度は反対の人も僕の肩を枕にする。そして今度は車掌さんも僕の膝で寝る。
「ちょっと待て!なんで膝枕??」
いくら、どかしても駄目だ。周りを見ると同じような光景が。
まるで、真冬の厳寒期、色々な動物達が寒さから身を守る為に身体を寄せ合うのと同じように。

まあ、もうどうでもいいや。。
これがこの国のやり方なら。
諦め、僕も眠りに落ちていく。。。。。
 
 朝日が昇る。目が覚めたその景色は、まるでアフリカ、ケニアのような大平原。

「ビルマにもこんな場所があるんだ。」
僕はそんな大平原の向こうからゆっくりを上る朝日を見ながら、自然の雄大さを感じていました。
 
 途中、今度は椰子の木が沢山生える道へと変化する。するとまた別の町が見えてきた。

ここで暫くの休憩。

いやー、長い長い道のりだった。
僕はみんなと食事をした後、街中を探索する。
市場へと行くとブドウがある。
「あのイスラエリーはどうしているんだろう?またどこかで揉めているのかなあ?」
そんな事を考えながら、僕はブドウを買う。
 
暫く町を探索し食事も済ませ、またバスへと戻る。
 
 出発の時間も近づき、バスのエンジンが掛かる。すると向こうから、一人の女性が走ってくる。
「どうしたんだろう?」

彼女はバスに乗り込んできて、キョロキョロして僕を見つけると笑顔で走ってくる。
 
「どうしたの?」
と僕。
 
「良かった…!間に合って。」
息を切らしながら、彼女は話す。(言葉はビルマ語なので、たぶんこんな感じという事で)
「あなた、さっきお釣り持っていくの忘れたでしょ!それで色々探して、あなたがこのバスに乗ってると聞いて追いかけてきたのよ。」
たぶん日本円で20円弱くらいでしょうか。
そのお金を届ける為に、彼女は僕の事を、町の端から端まで探してくれていたのです。
汗を流しながらも、息を切らしながらも、笑顔の彼女。
渡せて良かったという表情で、帰っていく。
 
 僕はその笑顔に、不覚にも涙する。
みんなが
「何を泣いてるんだよ~」
と、笑いながら肩をポンポンとたたく。

 だって、こんな事、僕には経験がなかったんだよ。そしてあんな笑顔を見た事がなかった。
あんな笑顔が、自然に出来るなんて…。
 
僕はここで、お釣り以上のものを貰いました。
 
 そしてバスは行きに通った見覚えのある景色、ラングーンへの幹線道路だ。
遂にまた戻ってた。
 
 僕は数日間のラングーンの滞在の後、アウンさんや、他の皆に別れを告げ、
ここビルマを後にしたのでした。
 
飛行機の中、ここで出会った色々な人々の顔が浮かぶ。どれもみんな最高の笑顔だったなぁ。
 
そして僕は再び、「あの」排気ガスに霞むバンコクへと戻って行ったのでした。
 
————以上、これでビルマ編は終わります。
 
 VISAの関係で1ヶ月間しか滞在出来なかったので、ギリギリ1ヶ月の滞在でしたが、アジアで最初の旅らしい旅がこのビルマという国でした。
今、また軍事色を強め、混迷を深めるこの国。
僕の友人達とも連絡が取れなくなって、非常に心配しています。

また、いつか民主化の道に戻り、あの笑顔が見れますように。
そして、またみんなと再会出来るように。
遠く、日本から祈ってます。

もしビルマに関心のある方、東京近郊にお住まいでしたら、高田馬場にあるビルマ人街へぜひ足を運んでみて下さい。
ここでは日本に暮らすビルマの方々が多くいます。
そしてここでは、ビルマの色々な地方の料理も食べられます。
そこに行けばきっと、遠いけど親しみのあるこのビルマという国へと行きたくなるはず。

ではでは、次回はタイバンコクへと戻ってからの話しです。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集