藤井聡太二冠の誕生に思う。技術の進化は絶望をもたらさない
2020年8月20日、テレビでは藤井聡太棋聖が木村一基王位をタイトル戦で破り、史上最年少での二冠達成となったニュースにわいていた。若いスターの誕生に世間は喜んでいたが、若いスターの誕生とは別の部分で自分は喜んでいた。羽生善治七冠誕生の熱狂から約25年経ったが、その時と変わらない熱狂がそこにあったことに。
コンピューターの台頭と将棋界の暗黒時代
2007年に渡辺明竜王(肩書きは全て当時の肩書きを使用)がコンピューター将棋のボナンザと対局し、渡辺竜王の快勝に終わった。だがこの頃より、いつコンピューター将棋が人間を超えるのか、が多く取り沙汰されるようになったと思う。この話題が、単にコンピューターの進化という以上の大きな意味を持っていたのは、コンピューターが人間に勝つことによって「将棋棋士に価値がなくなる」、しいては「将棋というゲームに価値がなくなる」とまで考えている人が少なからずいたことだった。コンピューターに将棋が解明されることは将棋自身の敗北、とまで言う人もいた。
今でも「AIの台頭によってどんな職業が今後淘汰されていくか」というような議論がされることがあるが、まさに将棋界はそんな問題を突きつけられていた状況だった。
2013年3月20日、佐藤慎一四段が電王戦で現役のプロ棋士として初めて公式の場でコンピューター将棋に破れた。その時の悲壮感に満ちた佐藤慎一四段の表情は今でも忘れられない。「僕は負けたら切腹しなきゃいけないのかな、とまで思っていた」と佐藤慎一四段はブログに綴っていた。これは少し余談になるが、その後船江五段と三浦八段も立て続けにコンピューター将棋に破れ、自分は少しほっとした。破れたのが佐藤慎一四段だけでなくて本当に良かったと思った。とりわけトップ棋士の三浦八段が破れたことで、世間も人間がコンピューターに負けると言うことは仕方のないことと、と受け入れ始めた空気があった。もし、三浦八段も船江五段も勝っていたら佐藤慎一四段はどのぐらいの誹謗中傷に晒されたかと思うと恐ろしい。
その後も人間とコンピューターの対決は続いたが、2014年の第3回電王戦でもコンピューター側4勝、人間側1勝で終わった。その後、2015年の電王戦ファイナルではコンピュータ側2勝に対し、人間側3勝で人間側が勝ち越したが、これまでよりも人間側に有利なルールが適用されたこともあり、この頃にはだんだんと多くの人たちもコンピューターがプロ棋士を超えた現実を認め出した気がする。
2016年に人間代表の山崎叡王がコンピューター将棋代表のPonanzaに破れた時、もはや世間に驚きはなかった。世間の関心もコンピューターと人間の対決から次第に離れていき「この公開処刑みたいな人間対コンピューターの対戦をいつまで続けるのか」のような声が大きくなっていったように思う。
また、コンピューター将棋をめぐる将棋連盟とコンピューター将棋開発者との確執や、トップ棋士の対局中のソフト不正使用疑惑などもあり、この頃の将棋界にはネガティブな空気が付き纏っていた。私も、この頃あまり将棋関連のニュースなどを見ないようにしていた気がする(ネガティブなものが多すぎて心が暗くなるため)。
藤井聡太四段の誕生と空前の将棋ブーム
自分は元々将棋が好きで、将棋棋士と言う人間が好きだったので、この状況は結構悲しかった。もう将棋連盟も終わりかもしれない、などと外野の1ファンに過ぎない自分が勝手にヤキモキしていた。ところがいきなり事態は急転した。山崎叡王がPonanzaに破れたわずか5ヶ月後、14歳の中学生プロ棋士が誕生した。藤井聡太四段である。中学生棋士の誕生は渡辺明以来16年ぶり史上5人目だった。
プロデビューするや否や連勝街道を走り出した藤井四段は、瞬く間にマスコミに引っ張りだこになり、お茶の間のワイドショーに登場するまでになった。2017年に佐藤天彦名人が現役名人としてPonanzaに破れるというニュースは、藤井四段の連勝のニュースにかき消され、将棋界は新たなヒーローの登場に沸いた。
結局、多くの人はコンピューター将棋がプロ棋士に勝ったことに絶望などはしなかったし、もしくは絶望しても直ぐにその事実を受け入れ、前を向きはじめた。そして、新たなヒーローはこれまでのネガティブな空気を瞬く間に変えはじめた。
コンピューター将棋がプロ棋士に勝つ未来、それを暗黒の未来と捉えていた人もいたがそれは杞憂だった。プロ棋士の価値がなくなることも、将棋の面白さが消えることもなかった。羽生七冠誕生の時と同じ熱狂が、藤井二冠誕生の熱狂にはあった。その間に起こったコンピューター将棋の台頭は藤井二冠誕生の熱狂を減じることはなかった。
しかし、今の将棋ブームを見ると、外野でありながら勝手に当時の将棋界にヤキモキしていた自分が可笑しくなる。でも、これは将棋だけではなく人生の全てにおいてそうだ。当時はこの世の終わりのように感じていた苦しい出来事の多くが、後から振り返ってみればとても小さなことだ。テクノロジーがいかに進化してもそれが人間の価値を減じることはない、そんなことをふと考えた藤井二冠誕生のニュースだった。