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『職業遍歴。』 #1 新聞配達

唐突だが、現在絶賛無職中である私のこれまでの人生で経験してきたあらゆる仕事(バイト含め)について振り返り、働くことの意味を考えてみようと思う(ヒマなので)。

1.新聞配達

中学生のときの私のお小遣いは、月1000円だった。今から30年前の話であるが、それでも「安い」と思われるだろう。月1000円では欲しいものは買えない。しかし私の家は裕福ではない。どうするか・・・そうだ、自分でお金を稼ごう。中学一年にして私はバイトを決意。

当時家でとっていた新聞は読売新聞。その紙面に、日曜だけの朝刊の配達員を募集する告知が出ていた。私はそれを見てすぐに近くの販売所へ行き、配達をしたいと言った。当時、新聞配達を毎朝やっている男の子は同じ中学でも何人かいた。新聞配達をしている子=家が貧しい、というイメージだった。女の子でやっている人はいなかった。中一の女の子だった私にとって、そんな新聞配達は好んでやりたいバイトではなかったが、中一ができるバイトなんて新聞配達くらいしかなかった。それに、毎朝なら大変そうだけど、日曜だけならなんとかなるだろうと思った。

すぐ採用となった。最初はそのエリアを配達している男の子について一緒に回り仕事を覚えることになった。決められたルートを自転車で回り、一軒一軒配達していく。何日か一緒に回ったあと、一人で配達することに。

朝5時前に起きて、決められた場所に自転車で向かうと、そこにバサッと新聞が置いてある。全部で100部近くあったか。配達はたぶん50軒くらいだったろうか(途中団地含む)。一軒につき読売新聞一部というわけじゃなく、二部とっている家もあるし、三部の家もある。読売だけでなく経済新聞や報知新聞を一緒にとっている家も多い。どの家がどの新聞を何部とっているかは、ルート表に書いてある。

まずは自転車に新聞を積む。前のカゴに半分、残りは後ろの荷台にひもでくくる。すごい重さで、瘦せっぽっちの中一女子が自転車にそのまま乗って走ろうものならすぐさまひっくり返る。最初のうちは手で自転車を押して走っていた。

ルート表と家の表札を照らし合わせて確認しながら、一軒一軒配達する。団地にさしかかると楽になる。団地は集合しているから、201、202、などと続けて配達することができる。もちろん階段の上り下りはあるが、中学生にとっては苦でもない。

慣れてくるとルート表を見なくてもどこの家になにを配達するか覚え、スムーズに配達できるようになった。最初は二時間くらいかかっていたが、慣れてくると一時間もあればできるように。何事も慣れが肝心だ。

ルート表はコロコロ変更になった。新聞をとるのをやめる家や、新たにとり始める家が加わったりで、せっかく覚えてもどんどん更新されていく。新たにとったかと思えばすぐにやめる、ということを何度も繰り返している家もいくつかあり、中学生の私にはなぜそんな複雑なことをするのか理解不能だった。今思えば、新聞拡張員が洗剤とかで勧誘して、それ欲しさに契約したり解除したりしていたのだろう。私は大人になってから、新聞拡張団でも働くことになるのだが、それは後の話。

ルート表がコロコロ変更になるとはいえ、基本的には同じルート上にある家だけを配達すればよくて、いきなり知らない場所に行かされるわけではない。なので慣れてしまえば自分一人で自分のペースでできる新聞配達は、私にとっては楽なバイトに思えた。人間関係のストレスとか一切ないからね。ちなみにバイト代は、一回の配達につき800円だった。それを毎日曜やれば、月3200円。中学生のお小遣いとしては十分だ。私はお金を貯めて、欲しかったCDラジカセを買った。当時、2万以上した。

私はこのバイトを、中学一年から高校三年までの6年間続けた。販売所の担当のおじさんがいい人で、長く続けている私を評価してくれていて、バイト代をどんどん上げてくれた。1000円になり、1300円になり、最終的にはなんと1500円まで上がった。一時間程度で配り終わる一回の配達に1500円。時給1500円といったら、今のバイトにしても高額だ。また、おじさんは、私が映画好きなのを知ると、読売新聞が協賛している映画のチケット(松竹系のとか)をしょっちゅうくれたので、私はただで好きなだけ映画を観ることができた。

なんかいいことしか書いてないと思われるかもしれないが、もちろん大変なことはたくさんあった。雨や雪の日は最悪だった。新聞が濡れぬようビニールで包み、雨のなか合羽を着て自転車を走らせる。それでも大雨だったりするとなにをしたって新聞は多少は濡れてしまう。濡れた新聞を配達するのは気が引けたが、仕方がなかった。泥水で新聞を汚してしまったことも何度もあった。予備の新聞というのも何部か積んでいるから、汚したものやたくさん濡れたものは替えたが、ひどい天気の日は予備が足りなくなったりも。天気ばかりはこちらがコントロールできることじゃないので、日曜雨、の予報を聞くと気が重くなった。

寝坊してしまい、母親に車を出してもらって配達したこともあった。このときは母に感謝した。しかし、車だと小回りがきかず、自転車より早いようでじつは余計に時間がかかってしまうということが途中からわかり、母にお礼を言って途中から自転車で配達した。なんだかんだいって、配達は自転車につきる。

それでも早朝から動いて新聞を配達するというのは、気持ちいいことだと思う。雪の日は、自転車を走らせることができないので、いつもの二倍の時間がかかる。だから朝4時とかに起きて配達を始めた。寒くて手袋をしていても手がかじかむ。でも雪の日は急ぐと転んだり、自転車をひっくり返して新聞を落としてしまったりするので、ゆっくりと確実に配達していく。いつもの倍の時間をかけさえすれば、慌てなくても仕事は着実に終わるのだ。団地にさしかかる。誰もいない団地の中庭に雪が降り積もり、そこに外灯があたっている。幻想的な光景だった。団地じゅうの人は寝静まっており、起きているのは私一人。しんしんと降り続ける雪は美しく、見飽きなかった。世界で自分一人だけが、今この瞬間この光景を独占しているのだ。誰も踏んでいない中庭に一歩足を踏み出す。さくっと音がして、足跡がつく。雪はどんどん降り、新聞を抱えて歩いている私の足跡はあっという間に消されていった。

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