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わめけばメンヘラ、書けば文学です。

29年の人生で絶賛、第1087回目くらいの絶望の中にいる。

飽き性なくせに、絶望するのは大好きらしい。

情緒系のアスリート並みに、メンヘラが極まってきた2025年。
なかなかホットだと思う。

死にたいと思ってないのに、死にたいと思ってしまうのはなぜなのだろうと考える。

調べたら、脳のバグなのだと。

実は自分の脳は自分でコントロールしていると思いきや、5%前後しかコントロールできていない。

だからさ、自分がメンヘラチックに考えてしまうことも、無意味な行動をとってしまうことも、それは狂気的なお笑いなのだ。

変なこと言っていても、それが実は人生の本質だったなんてこともあり得てしまう、変な世の中で私たちは生きている。

最後本当に死ぬ前に、「お前の意味不明な言動から発生したあんなイベントやこんなイベント、なかなか面白かったぜ。」と思えたりするかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

ただ、完璧に生きてしまえた人生で終わったとしたら、多分笑って死ねないだろうなと思った。


そして、恋をしてみようと思った。

YouTubeで「男は追われたら追いたくなくなるので、追わせるが勝ち」という動画で学習して、実践してみようとしたが、そもそも追わせるってなんだろうと原点に立ち返ってしまい

結局相手からの返信もきていないのに、追いLINEで「今度デートしませんか?」と送ってしまった。


、、「明日もこの人を好きって気持ちがあるかなんてわからないじゃないか」と通常モードで考えるくらいにはメンヘラですので。


「重い女は嫌われる」のは恋愛の一般常識なので、軽くなってみようと試みたけど、何を試みたのかわからなかった。

そもそも恋なんてしてみようと思ってできるものではないと、何千回と学んできているのに、いつも実践テストで間違える。

そんな頭がわるい自分も嫌いじゃない。

大人になると「終電の1本前で帰っておかないと、電車の乗り換えを間違えて終電を逃すかもしれない」「終電逃してもタクシーで帰ればいいか」と、つまらない学習をしてしまっている自分もいるので、少なくともそんな自分よりは好きだ。

期待し過ぎず、絶望し過ぎず、嫉妬し過ぎず、惚れ過ぎず、怒り過ぎず、悲しみ過ぎないという処方箋が世には出回っている。

愛してる旦那と子どもと、日曜日にホットケーキを作って、毎日笑えることが幸せなのか。

私はそこに、勝手に相手に期待してふっかけた喧嘩、絶望して泣き続けた真夜中、嫉妬して不機嫌になった誕生日、惚れすぎて自分を見失った青春、悲しくて一人で海まで歩いた冬があるからこそ、そんな何気ない毎日がとてつもなく愛おしく思えるのだと思う。

思い出せる負の過去がある人間が、存在する幸せをちゃんと認識できるのだということを覚えておきたい。

周りがカップルだらけのラスベガスで、夜のロマンチックな噴水ショーを一人で見ても、寂しいとか全く思わない大人になった。

恋はしたいが、恋人は欲しいと思わなくなった。

それはそういった類の感情が鈍感になったのか、その感情を無視しているのか、本当にそうなったのかわからない。

でも、酔っぱらった次の日の朝、「あんなこと言っちゃって恥ずかしいな、言わなきゃよかったな」という羞恥心は感じる。

既読もされない送ってしまったメッセージはもはや、”初めての有馬記念で3,000円賭けてみたくらいの勇気”を出して送信ボタンを押した産物なので、「この返信が返ってこなかったらカツ丼でも食べに行くか」くらいには思えるエンタメになった。

最後のひと押しは、『22時22分』という数字に背中を押された。運命を信じたい乙女心だった。

念の為、「自分きもいな」と思春期の女子が感じる感情もまだ持ち合わせている。

とりあえずは、こんな訳のわからないことをわめきながら、東京で一人生き延びるのもまた醍醐味なのだと思える。

こんなどうしようもない夜を救ってくれる本があり、その本の価値を思い知れる幸せを感じれるのだ。ハッピーだろ。

矛盾を嗜める大人でいい。

なんでもないし、なんでもあるんだよ。
どうでもいいから泣ける、みたいなとこある。

わめけばメンヘラ、書けば文学です。

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