◆レビュレポ掲載◆ トークセッション《オメガとアルファのリチュアル》遠藤麻衣、宇佐美なつ、京谷啓徳、新藤淳 国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」関連イベント
月刊美術批評WEBマガジン「レビューとレポート」へ掲載頂いた執筆記事の紹介です。
こちらのイベントは会期中に追加されたもので、現地で聴講してきました。
遠藤麻衣さんは出品作家でご自身も映像に出演されていました(緑の髪のほう🌿)
宇佐美なつさんは一緒に出演されているストリップ劇場の踊り子さんです(ピンクの髪のほう🩰)
京谷啓徳さんは活人画や額縁ショーの研究をされている方で、遠藤さんが今回の作品を制作するのに相談されていたようです。
初めに15分ほどの映像作品を講堂の大きなスクリーンで鑑賞。実際の遠藤さんの展示室は順路後半にあり、わりと疲れた中で立ったまま観なければならなかったし、私なんかは展示室では、「アレがコレで!?コレがアレで!?こういう解釈でこういう挑戦でこういう批評がされるのかーーーッ!?」と気を張って観てしまっていたので、こうして映画館のようなスタイルでリラックスして観られたのは贅沢でした。物語として受け入れやすかったし、単純に音楽が好きだな〜とか思いつつ。映像は2月に、来場者が来ない朝の早いうちに撮影されたようでその日は雪も降ったとか。最初のオメガとアルファが出会うシーンは美術館の外でしたが分からないくらいあたたかく見えました。
はじめに遠藤さんは、気にされている方もいるかも知れないので…と、今日のトークはこんな方向で話すのでセレモニー(3月11日の内覧会)で政治的なアクションをしたことについて美術館と議論をするつもりはない、と断りを入れていました。
その後、スライドを写しながら自身のこれまでの活動についてのお話。
2016年に東京都現代美術館で開催された「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」に遠藤麻衣+増本泰斗として参加し、アンディ・ウォーホル《マリリン・モンロー》の版画を模したものを作って胴体がはまるようにくり抜き、遠藤自身がボディペイントをしてはまることで一枚の絵になるようなパフォーマンス作品《あなたに生身の人間として愛されたいの》を発表。
セックスシンボルとして繰り返し描かれるマリリン・モンローの永遠に変わらないイメージと、変わりやすい自分の身体を対比するコンセプトだった。
しかし会期直前になり美術館側から(遠藤さんは"アドバイスとして"と仰っていました)ヌードのパフォーマンスは難しいと言われ下着を付けて行うことに。
その出来事を受け、なぜ美術館で、彫刻や絵画は良くて生身のヌードはダメなのだろうと考える中で、その壁を作品で乗り越えていこうと制作されたのが今回の作品だという。
ちなみに今回出品の映像作品タイトルは《オメガとアルファのリチュアル─国立西洋美術館ver.》というように国立西洋美術館との協議の上、一部に規制(逆光やモザイクで性器を隠す処理など)をかけたものになっていて、いま、ここで実現できた精一杯がこれ、という意味が刻まれています。
活人画や額縁ショーの歴史についての流れで、新藤さんが宇佐美さんに「ストリップのパフォーマンスが歴史性を持っていることについて、普段から自覚はあるものですか?」と問い、宇佐美さんは「ないですね笑。歴史的な背景を知らないではないけども、踊り子として歴史の文脈や連続性を自覚することはない。別の話って感じです」と即答。
ストリップ劇場のパフォーマンスは映像として残されないので、日々のパフォーマンスでしか受け継がれていない。宇佐美さん自身、初めてストリップのステージを観たのは2016年だし、それ以降しか知らないし、参照できる歴史は限られている、と。
会場も目から鱗やわぁ〜なため息が。
それから面白かったのは遠藤さんと宇佐美さんで意見が割れたという、静止するポーズについての話。
新藤さんが、映像の最後に脚を上げるポーズで〆ているのはストリップの様式美を見出しているのか?と質問。
私はストリップショーは見たことないですがポールダンスならあって、静止したままの大技なんかはその技術や肉体美に会場から拍手と歓声があがるような見せ場ですよね。
円形の回転ベッドの上で散々暴れた2人が最後は互い違いの方向でうつ伏せになりながら片脚は正座のように折り曲げてもう片脚はシャチホコよりも高くまっすぐに伸ばした姿勢で十数秒だったか静止して終わります。(たぶん!記憶の範囲では)
遠藤さんは、出身が油画科ということもあり静止画で絵を描くのは得意だけど動くものを考えるのは不得意なので、その部分は振り付けをしている宇佐美さんに担当してもらうという感じで役割分担したそう。ムンクの版画を元にしているため止め絵を作りつつその間を動きで埋めるという制作プロセスがとられた。
遠藤さんは、自身がストリップショーを見て感じた、盆の上で踊り子が脚を高く上げる瞬間の高揚感を取り入れたかった。しかし宇佐美さんは、ストリップの様式美を達成させることが目的ではなく、ポーズを切らなくても(決めることを切るっていうんですね)同じように高揚の瞬間は迎えられるはずだ、振付家として関わったつもりだしストリップの映像版を作るつもりでもない、ポーズを切る必然性はない、と主張し、いったんは遠藤さんも納得。
だが1ヶ月後の撮影で遠藤さんは、様式美とかではなく、そもそもムンクの版画に惹かれた点としてあるのは人間的なコミュニケーションで誰かと親しくなるのではなく全く別の形(様々な動物の姿)で関係性が始まっていく物語だという点だったため、人間的なフォルムが逆転したような頭の無いポーズを「入れちゃいました笑」とのことだった。
映像中でも2人はムンクの版画に登場する蛇や熊や虎や、他にも名前も分からないような野生的な何かなどに擬態しながらまぐわっていました。その最後のポーズは頭が無いとされているようでしたが、少しだけ見えた顔にはどこか満足気で幸せそうな表情が浮かべられていたような気がしています。
トークの最後には、この日の講演は実は、展示室ではできなかったような生身でのパフォーマンスを考えていたという衝撃告白も。脱衣がオールNGとなりトーク形式になったそう。
そうでなくても十分作品理解の助けとなる分かりやすい講演でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?