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赤毛のアン と タイタンの妖女

少し前から、私は2冊の本をほぼ同時に読み始めた。夫はできないと言うが、私は2冊の本の世界を行ったり来たりすることが好きで、よく同時読みをする。

今読んでいるのは、『赤毛のアン』と『タイタンの妖女』だ。実はどちらも過去に読んだことのある本だが、もう一度読もうと思ったのには訳がある。それは note だ。

まずは『赤毛のアン』
これは、沖 青磁さんのこの記事がきっかけである。

沖 青磁さんのお兄さんのエピソードが意表をつき過ぎて、そしてそのセンスに脱帽して、そうだ私も『赤毛のアン』を読むのだ。なんと言っても子ども向けの世界童話名作全集でしか読んだことがないんやもん、と今にも文庫本全巻セットをポチッとしようとしたところ、その割には細かい内容を覚えているし、おまけに half the pleasure という言葉が頭の中をぐるぐると駆けめぐる。なんで? それも英語? そこではたと思い当たったのが、私のジャズピアノの先生だ。先生はCDを2枚出しいて、ファーストアルバムの『First movement』の中にオリジナル曲、「Half the Pleasure」 があり、『赤毛のアン』が大好きだとライナーノーツに書いてあったのだった。そうだ、そのときに文庫本買って読んだんだった。あったわ、本棚に。よし、まずこの第1巻を読み直そう。そして1冊ずつ買い足していこう。プリンスエドワード島への憧れがつのるばかりだ。

そんなこんなしてるあいだにも、私は note の記事をぽつぽつと読んでいた。そして出会ったのが、hirobot@neco2 さんの小説『新月前夜、窓、そして君の事。』だ。

この連載小説は、1話ずつゆっくり読もうと思っていた。が、私は夢中になり一気読みしてしまった。そして読んだあと、なんとも言えない浮遊感と、何かにつかまって地面に足をつけたい気持ちを行きつ戻りつすることになった。いつまでも浮遊していてはいけないような気がして。そしてその浮遊感は、1冊の本を思い出させた。それが、『タイタンの妖女』だ。この本は、結婚する前の夫が、まだ付き合い始めて間もない頃に貸してくれた本だ。私はコツコツと読もうとしたが、一向に入り込めずそのまま長く借りっぱなしになっていた。あるとき、これはいかん、何がなんでも読んで返さねばと、とにかくがむしゃらに読み出した。すると、あるところまで来たら突然引き込まれてどんどん読み進んだ。そして読後の浮遊感。細かい内容はほぼ覚えていないのに、そのときのつかみどころのない浮遊感だけをしっかり覚えている。

『新月前夜、窓、そして君の事。』を読んで感じた浮遊感は私を宇宙のどこかへ連れて行った。苦しいような、幸せなような、虚しいような、満ち足りたような。この浮遊感を味わうために、私は『タイタンの妖女』を読んで、そしてもう一度『新月前夜、窓、そして君の事。』を読むことになるんだろう。

まるまる1週間のお盆休みが今日で終わる。最後の1日は読書に没頭することができた。2冊同時読みといっても、私の同時読みは1冊をキリのいいところまで読んでパタっと本を閉じ、もう1冊取り上げて読む、という読み方ではない。1冊を読んで、その世界に入り込んだ状態で現実の生活をする。家事をしたり仕事をしたりする。『赤毛のアン』を読んだあとなら、アンになりきって、なんて素晴らしいのかしら、とかなんとか言いながら (心の中で) 食事の支度をしたりする。『タイタンの妖女』を読んだあとなら、遠い空の上から運命に動かされている自分を見ているつもりで仕事をしたりする。そうこうしてるうちに現実の自分に戻り、次に本を読むときにはふと手に取ったほうの1冊を読む。そうやって2つの世界を行ったり来たりするのが好きなのだ。今日は『タイタンの妖女』を読んだ。なので運命に動かされている自分がここにいる。


明日からの仕事の準備ができていないなあ。まあいいか、明日の仕事は遅がけに始まる。明日の朝、準備しよう。

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