【虎と泥】走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代 菊池寬実記念 智美術館
京都国立近代美術館で開催されていた展覧会。巡り巡って都内にやってきた。前期は見れずだったが、後期展示へ。
※違う、私、前期を見たのでした。何かを勘違いしていた。頑張れば後期も見れる
今はあまり行く機会のない虎ノ門周辺。出産前までこの辺で勤めていたけれどなんとかヒルズが沢山できてるー!という印象。
虎ノ門…と言えば虎ノ門パストラルというかつてあった宴会場?の様な場所で日雇いのホールスタッフをしたことがあったな…学生の頃の旅費を短期間で稼ぐ手段だった。お医者さんやら学会とか立食パーティとかで水割りを配りまくるという仕事だった。
余談は置いておいて。
虎ノ門ヒルズという不思議な名前の駅ができていて、駅を出たら急勾配の江戸見坂をエンヤコラ登ったさきにある菊池寛実記念 智美術館。初訪問である。
入り口入ってすぐの壁面から「お、篠田桃紅さん!」と期待しつつ。坂の上ならでは、地下階を利用した建物だった。
さて前衛陶芸。
5月に千葉県美で見た鳩香炉とか宮川香山の重文の蟹貼り付け台などをきっかけに工芸、陶芸が気になり始めた。
先日は世田美の民藝展で「せ ん べ い」とデカデカと書かれたなかなかアグレッシブな壺を見た。あれも陶芸品だ。
道具or装飾の他の陶芸の役割とは。
前衛とは。
純粋芸術の手段なのかな、と。
彫刻では?というとそうかも知れないけれど。
しかしどこかにまだ道具としての役割もありそうなもの、もある。一輪挿しとか。
千利休の時代から道具だけど「愛でる」ということを喜んでやってきた人種のDNAだよなぁと思ってしまい面白かった。
八木一夫氏を始めとする魅力的な陶を作り出すメンバー。
展示室最後にあるメンバー一覧表には宮永理吉氏の名前もあった。この人はナフタリンで彫刻を作る宮永愛子さんのお父さんだ。
真剣に向き合ってたのだが、なんか肩の力がスッと抜けるような、ンフフと笑ってしまう様なそんな作品達。
陶芸といえば
先日、練馬区立美術館で陶器で作品を作る三島喜美代さんの個展を見た。
彼女は現代美術家のイメージが強い。
走泥社の盛り上がった時期と被るのような?程度に頭の片隅にあり、wikiをちょっと覗いてみようと思ったら2024年6月の段階で三島喜美代氏の日本語ページが無かった。
Oh…そんなに知名度ないか。
しかし英語版wikiにはあったの読んでみると、走泥社に誘われたが「私は陶芸家ではないから」と固辞した話が載っていた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kimiyo_Mishima#cite_note-:2-6
さらに読み進めると関西で主に活動しながらも同時代に盛り上がっていた美術団体・具体へも加入しないという選択をしていた。理由も面白かったのでまだその掲載がまだあればぜひ見て頂きたい。出典は作者の著書になっていた。
団体を作ればそのジャンルが盛り上がる、というのは確かにあるだろうけれど、それと共にしがらみやら上下関係やら何やら面倒なこともあるんだろうなぁと。うっすら考えてしまった。
自分はサークルやらスクール、団体競技が苦手だった。
逆に所属とかそういう中に生き甲斐を見出し頑張っている人もいる。
属しても楽しい、属さなくても困らない、と選択の余地があることが大事だ。
※この文章は6月24日に校了していた。6月19日水曜日に三島喜美代氏が91歳で逝去したことが27日に発表された。
謹んで御冥福をお祈りいたします。
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