黒子の仕事・1。〜ジュディマリ考察
…あー、「自分の仕事について書こう」と思ってたのに、書き終わったら単純に「ジュディマリ考察」で終始してしまってました。。。w
僕の「青春としての音楽」と「仕事で大事にしてること」とが重なる場所に、このお話があるので、そりゃあ自然と熱も入るってもんです。長くなって連載になっちゃいましたわ。
ということで、今回は想定外の前編「ジュディマリ考察」からスタートしてみたいと思います^^
僕的には、「かなり大事なこと書いたぞ」って内容なので、特に自分「らしさ」を掘り下げて考えてみたい方には是非届け!って思います。
替わったから、変わった。
自分の仕事について話をするとき、必ずと言っていいほど持ち出す「例」がありまして、それが「ジュディマリ」の話。
…って、そういう世代なわけですが、わからない方のために一応ご説明いたしますと、正式名称「という、日本のロックバンドですね。
(Wikipediaにリンク貼ってまであげるという優しさ笑)
このジュディマリ、2作目のアルバム「ORANGE SUNSHINE」になってから火がついた。
何故か?
1作目と「プロデューサーが替わったから」です。
ジュディマリ好きな方ならご存知かとは思いますが、結成の経緯として
当時有名だったベースの「恩ちゃん」が、無名だった「YUKI」を拾って
という「強いストーリー」があります。
ので、デビュー当初は「恩ちゃんとYUKI」ってカラーで成り立たせようとしてた感がある。当時「恩ちゃん」は知られた存在だったし、見た目にもインパクトあるし、そうするのが「わかりやすかった」んだと思う。
デビューアルバム「J・A・M」は、作曲も恩ちゃんがメイン。とにかく「恩ちゃんありき」みたいなところでまとめられてた。
…でも反面、それを推そうとするあまりに、他のメンバーの個性が潰されて見えない、って印象でもあったんですよね。まとまってはいるけど、こじんまりしてるというのかな、ボーカルのポテンシャルを考えたら、「…もっと爆発していいのに」みたいな感じで、消化不良な印象があった。
デビューシングル「POWER OF LOVE」は僕的には珠玉で、今でも聞く。最初にその曲を聞いて「ジュディマリのアルバム買おう」と決めたくらいだから。恩ちゃんとYUKIの魅力がうまく出てた「一曲」だったから、アルバムに期待をしていました。
でも、「アルバム」となると、全体が「それだけ」でまとめられてた感じを受けてしまった。。。恩ちゃんの見た目のインパクトに、音が勝ててないような印象があったように感じたんだよね。もっと「パンキッシュ」を期待したのに、「ガールポップ」の域を抜けきれてない印象というか。。
恩ちゃんはハードロックの出なので、それに合わせて揃えると「個性的な女ボーカルと、屈強な男演奏陣」ってイメージで、まとめることができるのはわかる。
けど、そういうアイコンはこれまでもリンドバーグとかレベッカ、パーソンズとかで散々擦り倒されてきてて、わかりやすい反面、そのテンプレートに勝てる個性がないと印象に残らない。
「あー、またそういうバンドが出てきたのねー」くらいで終わっちゃいかねない。
その印象が、2作目になったらガラッと変わった。
具体的には、楽曲はポップになっているのに、ぶっ飛んだ「パンキッシュな印象」が残る感じ。弾け感が出た、っていう感じかな。エネルギッシュな感じ。
そうそう、これこれ、これをイメージしてた!
って、潜在的にあった期待感に応えてくれた感じがしたんですよね。
紐解いて分析していくと、1作目で全然印象に残らなかったギターが「暴れてる」んだよね。好き勝手に。そのことで、僕らは一気に「パンキッシュだ」と認識する。や、ギターが一番「暴れ」が際立つけど、他の音も自由度増してる。
そう、期待する「パンク」の印象は「見た目」じゃなかったんです。
僕らが期待するのは「どんな展開で夢を見させてくれるのか」というところで、言ってしまえば「結成のストーリーに寄りかかるような、わかりやすさがほしい」わけじゃなかった。
比較してみるとよりわかるんだけど、総括すると、1作目のデビューアルバムは、
「結成ストーリーの強さ」「見た目のインパクト」といった「わかりやすさ」で勝負しようとして、そこに着地させようと押さえつけてしまって、逆にバンドのポテンシャルを殺してしまってた
というのが、僕なりの見解。
「コンセプト>個性やバンドのポテンシャル」って感じかな。
(あくまで個人の見解ですので、どうぞご了承くださいませ。-人-)
…結果的にも、力入れてたわりに、ハネなかったんですよね。。。
そうなった一連の原因がどこにあるのかを見極め、その抑圧をポーンと開放させたのが、2枚目。
ここで一気に、人気に火がつき始めた。
要は、世間が魅力に気づき、求め始めたということ。
それを、誰が導いたのか?
プロデューサーだ。
プロデューサー・佐久間正英。
…残念ながら2014年に亡くなってしまったんだけど。。合掌。
本当に、惜しい人を亡くしたと思う。
ジュディマリの他にも、古くはブルーハーツ、BOOWY、GLAY、エレカシ…
彼が手がけたアーティストは、誰もが知ってるような超有名どころばかりだ。けど、彼の名前は知られていない。きっと多くの人が、知らないでしょ?
でも、たぶんそれでいい。
黒子の仕事。
特に音楽での「プロデューサー」ってことになると、「小室哲哉」「つんく♂」隆盛時代の印象で思い浮かべてしまうけれど、彼らはかなり「アーティスト」の立ち位置なんだよね。僕的な見解からすると。
本来「プロデューサー」は、「アーティストを活かす」って目的のためにいるのだから、顔の見えない「裏方」で全然いいはずなんだと思う。
これは僕的持論なんだけど、プロデューサーの存在がアーティストを凌駕してしまったら、それはアーティストを活かしたことにはならない。「小室プロデュースの人でしょ」って言われてしまったら、アーティストの名前は残らなくなる。
中身のプレゼントより、ラッピングが勝ってしまってはいけない。
見てる人にとって、
「アーティスト」の魅力が響いて、
「アーティスト」の印象が残って、
「アーティスト」を求めるようになる
っていうのが、プロデューサーの仕事の成果だと思うから、そういう意味では「佐久間さんのプロデュース」こそ、目指すものだと思うわけです。
僕的にはね。
「ジュディマリ」の魅力はどこにあって、見る人はどんなことを期待していて、どこをどうすればそれが引き出され、響いてもらえるのか。
それを見抜く力。
そして、簡単に言ってるけど、「ギターを好き勝手に暴れさせる」こと自体はできたとしても、それを「見る人に響くもの」に着地させることが、どれだけ難しいことか。下手したら、「うるさいだけ」「よくわからん」ってなりかねない。
だから、デビューアルバムは「着地させる」ために、「暴れさせなかった」わけで。「暴れさせる」が可能なのは、それを受け止め、着地させる力量があるからこそなせる技。
結論、
ジュディマリが化けられたのは、佐久間さんほどの「眼力」と「手腕」がなきゃ、無理だった。
ここまできて、やっと「プロデューサーの力量」が如何に大きいものか、というのが見えてくるわけです。
「個性」を見抜き、発揮させるために。
そして、音だけじゃないのです。
全部が連動してる。
もうまさに「ブランディング」です。
例えば、佐久間さんが関わる前の、1作目のタイトルは「J・A・M」。
たぶんだけど、「Judy And Mary」って名前の頭文字と、「ジャムセッション=異なったものが混ざり合うぜ!」的なメッセージ、ってことからのネーミングなんだと思う。けど。
…てゆうか、いち視聴者の僕が簡単に推測できてしまう時点で、「安直なネーミング」で正直「素人仕事」みたいに感じちゃったよね。。。
こういうとこにセンスが出る。^^;
…きっとおじさんたちが「うまくハマったね」なんて、テンション上がって会議した画は浮かぶけど笑、…なんか、昔バンドやってたおじさんたちがテクニックを見せつけようとするジャムセッション演奏みたいな、それと似たフィーリングを感じます。。。
…んー、たぶん、その感性じゃないんだと思う。。
求めたいのも、それに応えられるポテンシャルも。
後に若者たちのファッションのアイコンになったYUKIの活躍を見たら、わかる。
おじさん会議じゃ、これは出てこないw
そんな1作目に対して、2作目のタイトルは「ORANGE SUNSHINE」、3作目は「MIRACLE DIVING」。
これは、作品のカラーや個性、大事にしてることやイメージを表してるもの。きっと聴き終わったときに、タイトルを見直したら、「そういう感じだったね」って思えるものになってる。
ビジネス的にいうと「短期目標の達成に注力した」って感じかな。「やるべきことが明確」な感じがするんだよね。
一作目の「J・A・M」だと、作品のことなのかバンドのことなのか、うまく包括させようとしすぎて逆に対象がぼんやりして、伝わらない。
余談ですが、僕が主催イベントのネーミング考える時の感覚って、きっとここらへんに由来していると思います。
で、2作目以降のネーミングにも現れててわかるのが、本体の「バンド」としてのコンセプトや魅力が明確に打ち出せているからこそ、個別の作品についても言及できるようになっているんだということ。
この人って、こうよね。
こういう感じで、きっとやるわよね。
でも、だからこそ、逆にこうされたらたまらないわ*
みたいな。
「まずは、どんな人か」を明確にすることが先決。
まさに、「ブランディング」をしっかり考えられているのです。
バンドのあり方として「何を大事にすべきか」って、しっかりと軸足を地につけられてるからこそ、そこを守ることで、違うところで遊んだり、幅を出すことができるようになる。もう一個、「次のアプローチ」っていうのを乗せることが可能になるわけだ。ピボットターンみたいに。
「Over Drive」のMVは、衣装を「白のオーバーオールで統一」させることで、逆に個性が際立って見せられるという好例だと思う。黒の皮のハードロック衣装を着なくても、恩ちゃんのハードロック感は表現できる。YUKIのキュートさもよく伝わる。
…って、わぁー、過去最長の長さになってしまった!
本題にひとつも触れてないのに。。。
ま、とりあえず、「ジュディマリ考察」についてはずっと書きたいと思ってたので、これはこれでヨシとしようかw
…果たして、読んでくださった方に「理解」してもらえたんだろうか?。。。
よし次回、これをもとに本題に着地しよう。
次回は「セルフプロデュース」についてです。
本題の方が、全然読んでもらえなさそうな気がぷんぷんするw
負けねーぞ。w
つづく。
読んでいただき、ありがとうございました*