アフリカ大陸の玄関口、モロッコのタンジェ旧市街。そのすぐ近くの両替所を出たところで、60歳過ぎくらいの小柄なおやじに話しかけられた。 「旧市街はそっちではない、こっちこっち」と言われ、宿の方向も一緒だったので結局ついて行くことになってしまった。(この時、一旦強引に市街から外れてしまえばよかったが、なぜかその時は立ち止まり振り返ってしまった)。タンジェの街が見渡せるところがあるから連れていってあげると言われ、そのままおやじについて行った。道中で、自分はこの街で育って、自力で言語
久しぶりにバーボン・ウィスキーをショットグラスに半分だけ注いで飲んだ。このところお酒を一切口にしなかったので、一口飲んだだけで頭がぼーっとする。ショットグラス半分で正解だったのかもしれない。我が家では夕飯の時に缶ビールを一本でも飲まないと「体調悪いんか?」と心配される。最近、考え事が多くあったのでお酒を飲む気にならなかったのだが、いよいよ家族みんなが本格的に僕の体調を気にするようになったので、ここで少しだけ飲んでみせて安心してもらおうと思う。まったくどうかしている。 そう、
なぜ人は不快なにおいを嗅ぐと吐き気を催すのか? 空気中のにおい物質が鼻から入り嗅粘膜に溶け込んだ後、神経を介して脳に伝達される。胃の中に空気が入ることはあったとしても、においという感覚が直接胃を刺激することはないだろう。だが、僕らの身体は不思議なことに、においという感覚が一旦脳に達してから、間接的に胃に対して食べ物を吐き出すよう指示する。せっかく食べたものをわざわざ吐き出すなんて、そんな必要はないはずなのになぜそんなことが起こり得るのか、不思議でならない。 その理由をネッ
2017年から2018年、平成29年から平成30年、酉年から戌年に変わった。あらかじめ予想していたものの、除夜の鐘が鳴ると同時に、干支を知る全ての人々の常識が酉から戌へ一瞬にして切り替わることにやはり感心せずにはいられない。まだ酉年が続いていると本気で信じている人はおそらくこの世に一人もいないだろう。どうしてだろうか。今が酉年であろうと戌年であろうと、そんなことどうでも良いではないか?2018年が酉年であったとして誰が困るというのか?日本だけでも1万人くらいは「まだ酉年は終わ
仕事帰り。自転車。星空。 今晩は魚かなあ・・・。もし魚だと後で腹が減るから、マクドナルドでハンバーガーを買って帰ろう。マクドナルドには2、3週間に一度行く。体重を増やしたい時期、夕食が魚料理と予想される日に夜食として買って帰るのだ。 おや、今日はやけに車が多いな。ドライブスルーか。駐車場にも車が溜まっている。これは堂々と自転車を店の横に乗り付けることはできそうにない。仕方ないから歩道橋の下にでも隠しておくか。 そういや昨日もここ(マクドナルド)に来たんだったな。晩飯に魚
「けいすけ君、春からいなくなるから、今のうちに喋っといたほうがいいで、先生」 「えっ、けいちゃんまたどっか行くんけ?どこ行くん?」 「ああ、スペインに行こうか思いまして」 「えっ、どこって?」 「スペインに」 「ひえー、どんだけ行くん?」 「まあ、スペインだけでだいたい2ヶ月ほどの予定です」 「2ヶ月も!?そんな長いこと。それは勉強で行くんけ?旅行?」 「んー、まあ旅行ですかね」 「若いなあ、私ももっと若かったら絶対ついて行くわあ」 12月15日、書道教室
しばらく前の話になるが、東京の目黒・渋谷地域を歩いてきたので、その地域の成立に関して、地質を中心に簡単にまとめておきたい。実際に歩いていない地域も知識として興味深いところもあったので書きたい。 目黒・渋谷地域が現在のような住宅街・繁華街になった経緯を調べ、自分なりの解釈で理解した。この地域でのまち歩きの発端は聖地巡礼だが、一応簡単な資料収集もしていたので、調べたことをなるべく簡潔にまとめておきたい。まち歩きをしながら気がついたことは、本来であれば、まちを歩く中で、歴史的な遺
連休中は終始風邪気味で空元気でなんとか凌いだという感じだった。ぐずついた体調が何日も続くのは初めてで、いよいよ身体に何かしら地殻変動が起こったのだろうかと思った。 一週間で、兵庫県朝来市和田山町の藤公園、豊岡市竹野町の竹野浜、養父市大屋町の明延(あけのべ)、そして京都を巡った。 連休明けは田植えを手伝ったり、蜂の巣を駆除したり、さや豆を収穫したりと、慌ただしかった。濃密な一週間だったが、鼻が詰まっていたのでどこへいっても飯の味がわかりにくかったのが残念だった。そして今よう
長渕剛の「桜」という歌がある。これにはいくつかの地名が登場する。目黒警察署・山手通り・鎗ヶ崎・代官山・鉢山交番・渋谷・目黒川など。 僕はこの歌が好きで、桜の季節、歌の中で長渕剛が歩いた道を辿ってきた。歌の聖地巡礼である。 現代の聖地巡礼は、映画(小津安二郎『東京物語』の尾道)、アニメ(『ガールズ&パンツァー』の大洗)、ドラマ(『あまちゃん』の南三陸)、小説(志賀直哉『城崎にて』の城崎)など、様々なジャンルのものが、観光・まち歩きに利用され楽しまれている。◯◯ゆかりの地とか
しばらく関東でふらふらと生活し、先日実家へ戻ってきた。関東では主に横浜と東京にいたので、近日中にブラナカオ東京山手線「西」編を出したい。なかなか東京でまち歩きの楽しみ方を見出すのに苦労した。長崎とは内容が異なるが、「へえ」と思うこともあったのでいずれ報告したい。 すっかり春らしくなって、厚手のジャケットもクリーニングに出してしまった。実家に帰ると、春の陽気で畑の野菜たちもすくすくと育ってくれていて驚いた。 そら豆が花をつけるまで大きくなっていた。やはり一番のドーピングは肥
大学院の友達と一日長崎を旅行した。僕にとっては2年ぶりの長崎である。 今回は世界遺産専攻らしく、まち歩きによる文化遺産の価値の発見。私、中尾によるまち歩きエンターテイメント、ブラタモリならぬブラナカオを敢行。 本来であれば、亀が出てきて、今回のテーマ的なのを提示するのだが、みんなにいろんなところに訪れて欲しかったので、決まらなかった。世界遺産専攻的まち歩きの試作である。 長崎駅前でみんなを迎え、長崎市五島町にあるゲストハウスCasanodaでチェックイン。 まずは五島
先週末、2月4日、5日は山の畑の柵修理。 1月の大雪から一度も山の畑の様子を見に行っていなかった。2月に入り、雪が割と溶けてきたので、そろそろと思い、山の畑に行った。 作物については、二十日大根はもう結局2ヶ月くらい放置していて、ほとんど大きくなっていない。ほうれん草も思ったより成長してなかった。 そして、さや豆の方は雪の重みでぺしゃんこに潰れた。もう収穫する時期は過ぎているので構わないが。 キャベツはドームがあるおかげで、雪が降っている間も、順調に成長しているようだ
テレビを見ていて、地域活性化に取り組む公務員の話をやっていて、気になったので、しばらく見ていた。そしたら、その公務員の地域振興に携わるようになったきっかけみたいな話になった。そこで語られていたのが、過疎になって自分の住んでいた町が合併されたというのがあって、むむ?と疑問を持った。 人口と市町村数は関係あるのか? 国がとっているデータをエクセルに入力してみた。1965年頃は、市町村数は約3300で、人口は9800万人。その50年後の2015年は、市町村数は約1700で、人口
決して地方創生を全否定はできないことを承知で愚痴愚痴言ってみたい。 地方創生が謳われ始めてから、今まで独自に駒を進めていた自治体までもが振り出しに戻ってしまったような気がする。 一歩一歩着実に進めていたのに、地方創生が言われ始めてから、そちらのやり方になびいてしまって、本当はそのままやってれば良かったのに、他の人と同じように0からのスタートを切ってしまった自治体もあるんじゃないかと思う。 地方としてひとくくりにされてしまって、みんなが同じ価値観の元で似たようなことをする
先日の豪雪から打って変わって、晴れ、雨、風と来たので、雪が急速に溶けてきた。営業していた和田山でたったひとつのかまくらも2日で廃業した。 建設から2日目の夕方でこんなことになってた。屋根が沈んでる。入り口の屋根がへっこんだところをツンツンしてみると、わさっと雪が落ちる。 屋根部分に乗ってスコップで解体作業に入る。もうダメになったら一気に溶けてなくなってほしいからね。スコップで5ツンくらいしたら屋根が崩れ落ちた。 楽しいのも束の間、まるで桜。儚いって良い言葉だよ。 雪解
ここ2週間、但馬では数年ぶり?数十年ぶり?の大雪が降った。里帰りして久々に雪が見たいと言っている自分を歓迎してくれているのだろうか。 1月14日だったか。大雪が降り、車で外出もできなくなった。大雪が降って外出ができないときにするべきことはたった一つ。 雪遊び。 家裏の畑、くつろぎスペースに雪が大量に降り積もっていた。これは思う存分遊びなさいという教えではないか。5年間まともに雪に触れずに過ごしてきたのだ、遊ぶ他ない。 雪遊びといえば、雪山に行けばスキー、スノーボード。