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驟雨に流る2【記憶No.01】鈴の音3

「よく不気味に思わないのね」
遺影を全部降ろし終わった時、母が様子を見にやってきた。

「この人はアンタのひいおじいちゃん。女好きで外にお妾さんがいて…晩年はボケちゃってね…」
拭き終わった遺影一つ一つを手に取って母は独り言のように語る。
遺影は全て白黒の肖像画だ。男性は紋付羽織。女性は留袖。一体どこの画家に描かせているのやら。
今回亡くなった祖母も、いつの間にか肖像画を描かせていた。

何枚か遺影の説明をしていた母が、ふと手を止めた。
手元には「夫婦一緒に描かれた肖像画」。他にも夫婦が一緒に描かれている肖像画はあるのに。

母が手にする「夫婦一緒に描かれた肖像画」は、特に古い物のようだ。
紙は痛んでおり端の方から皺が入っている。色褪せかシミか虫食いか、色が剥げはじめている。
母の視線は、右側の高齢の女性に注がれていた。
白髪で切れ長の鋭い目つき。彫が浅く、すっきりとした顔つき。けれど、高齢なのに強い意志を持っているように感じる肖像画の女性。

「この方は、“女帝”」
しばしの無音。
瓦屋根を打つ音がする。雨がまた降り始めたようだ。
仏間がまた少しだけ暗さを増したように感じた。
雨音に促されたように、母はゆっくりと語りだす。


戦前。
もう今では何が原因だったのか伝わっていないが、この家に不幸が続いた。
政治的・歴史的にも不安定なご時世も要因の一つだったのか、町一番の旧家であったこの家の経済状況があっという間に傾き、崩壊寸前になったという。
“女帝”はそのタイミングで、侍女を一人連れて隣の町から嫁いできた。
祝言も終わったその日から、“女帝”は動き始める。
どれだけ周りが止めても、「このままじゃ、いけないよ」と言っただけだった。

お手伝いさんたちも去り、いつの間にか荒れていた家を整え始めた。
家の中の事だけではない。農家の畑仕事も疎かにすることはなかった。
家の者全員が“女帝”が眠っている所を見たことがない。そんな働き者の“女帝”だった。
生活は誰よりも質素につつましく。着物も祝い事以外は質素なものを。
収入が安定したところで、去っていったお手伝いさんたちを呼び戻した。実にそこまで“女帝”がこの家に嫁いできてわずか1年だった。
その後、跡継ぎの旦那の仕事であるはずの財務関連や周囲の農家との調整、組合の顔出しまで行うようになる。この町一番の農家の嫁の発言。女であるとは言え、軽くあしらうことが出来る相手ではない。

“女帝”
いつの間にか周囲につけられたそのあだ名は、単なる尊敬の意味ではなく、「女のくせに」といった侮蔑の意味が多いに込められていたのだろう。

“女帝”の子どもが生まれた時。“女帝”は1つの教育方針を決める。それは、今でもこの家の教育方針になっている。
「子どもが生まれたら、最高水準の教育を受けさせろ。例え親が死んでも、この家が滅びかけていても、子どもの教育水準は下げるな。特に、女は」
地元のお嬢様お坊ちゃま私立幼稚園の制服を着た従妹の子どもたちが脳裏をよぎる。


すべては家のため。そんな“女帝”の時代から、この家は栄えに栄えた。
“女帝”の子どもはひょんなことから戦時期にも関わらず、以後何代かが“一生遊んで暮らせる金”を得た。
戦争では“女帝”の子ども、孫も勿論、徴兵されていったが、その全員が帰国した。戦地に赴いた6名が全員。派遣先を聞くと、皆、激戦があった南方だった。
無事に帰国できた理由もバラバラだが、母の祖父は激戦地に赴く前夜にいきなり上司に呼び出され、痛くもない腹を指さされ「お前は今、腹が痛いな?うん、とても痛いのか。そうか、そうか。すぐに手術をするしかないな。盲腸は痛いよな。それとも潰瘍か。そうかそうか。仕方ない。今から医務室に行こう」と、何をどう反論しても一方的に手術をさせられた…等、意味が分からない理由で死なずに帰ってきた。
(手術は麻酔無しだったらしいが…)


「この家の者は、何かに護られている」
皆、そう結論づけるしかないことが続く。
“女帝”は戦時中に亡くなったが、家を子孫を護った。
近所の家も勿論、子どもを徴兵された。でも、全員帰国できた家はこの家しかなかった。
戦後、時代が下っても、その護りは続く。
あの従姉妹たちだって、大事故にあっても大病をしても、どういう訳か軽傷ですんでしまう。確か跡継ぎの長男はダンプに轢かれて無傷だった。轢かれて飛ばされた先の道路が凹んでいて、その凹みにすっぽり入り、ダンプがその上を通過したことから助かった。
次女は乗っていたバイクの原型が留めないレベルの事故でも、数か所の擦過傷。
長女も大病の末に謎の復活。
憎ったらしい嫌味が言える位、立派な大人に成長できた。


「“女帝”は最期までこの家の事を考えていた」
年老いた“女帝”は朝、いきなり飛び起きた。何かを感じ取ったように少しぼんやりした後、身辺整理を始めた。
持っていた着物や私物、嫁入り道具も全て、売り払うように家の者に命じた。
帳簿等の貴重品の場所を長男に引き継ぎをし、こう言ったとされる。

「私はこの家のために、生きた。あとは頼んだよ。家のために何が出来るか、アンタも考えて行動しなさい」

縁起でもない!と周囲の者が止めても、身辺整理を止めなかった。
“女帝”が死んだのは、その一週間後だった。持病も無い。寿命だったのだろう。


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