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知らなかった~

ロスに行った?

アメリカにLosangeles という地名があります。
テレビを見ていると、カッコつけてるのかそうでないのかわかりませんが、
『去年ロスに行ってきたんです。』
ってなことを、人気芸能人の人が言うわけです。
実はこれ、けっこう恥ずかしい言い方なのだそうで、
・そもそも、アメリカの人は Loss (失う)に近い言葉なので
    ロサンゼルスをロスとは言わないそうです。
    L.A. などと言いますよね。
・Losangeles は元々スペイン語で Los Angeles なのだそうです。
   これを英語にすると The Angel ということです。
  つまり、「ロスに行った」というのは the に行ったと言うのと同じらしい
  です。

知らなかったり、間違えたり、それは誰にでもあることなのでそれ自体は恥ずかしいことではないと思います。
でも、もしカッコつけとか知ったかぶりで間違えていたりすると、周りの人は気にしなくても本人的には恥ずかしいだろうなぁと思うわけです。

ドライブとドリブン

僕はバイク乗りなのでこれはずっと以前から知っていました。
車でもバイクでも良く出てくることばです。

車やバイクではエンジンが回転し、その回転する力を車輪に伝えて走ることができます。
これを駆動すると言います。
よくある四輪駆動車とは、エンジンの力で同時に4つの車輪を駆動するので4輪駆動車と言います。
これを英語で言うと 4 Wheel Drive です。

ドライブ(Drive)とは常にドリブン (Driven)とが合わさって一対です。
何故ドライブ とドリブン があるかというと、駆動する側(能動的)と駆動される側(受動的)があるからです。
例えばオートバイや自転車にはチェーンが取り付けられていて、エンジンをかけたり自転車をこいだりするとギヤ(スプロケット)が回ってチェーンを引っ張ります。
これがドライブであり、ここについている回転軸はドライブシャフトと呼ばれます。
チェーンが車輪のギヤ(リアスプロケット)を引っ張ることでギヤとともに車輪が回ります。
これが回される側のドリブンであり、この回転の中心にある軸をドリブンシャフトとよぶわけです。
エンジンの中のミッションもギヤやシャフトで構成されていて、回す側を不ドライブ、回される側をドリブンと言います。

牛肉じゃないとね

少し英語とは違いますが、ビーフストロガノフというロシア料理があります。
僕はずっとこれをビーフなので牛肉で作るものだとばかり思っていました。
当然、もしレストランで牛肉ではなく豚肉が使われていたら、
『そんなのはビーフストロガノフじゃないだろ?』
と文句のひとつも言ってしまいそうです、、、が、言わなくて良かったぁ。

ロシア語では Befstoroganov と言うそうですが、
Bef は「◯◯風の」 という意味で、
「Storoganov」 はストロガノフという人物(或いはストロガノフ家)が語源。
つまり、ストロガノフ風の料理 を Befstoroganov というわけです。
ということは、ビーフストロガノフは牛肉以外の肉を使ってもビーフストロガノフってことですよね?
鶏肉でも豚肉でもいいってことですか。なるほど。

栗を英語で・・・

今更えらそうに言うなって思うでしょうが、『マロン(marron)』は英語ではありません。
英語では Chesnut と言います。
しかもです、日本の栗のように一つの毬の中に複数の種が入っているものはシャテーヌ(シャテーニュ?)なのだそうで、マロンと言えるのは毬の中に種がひとつだけ入っている種類のものだそうです。

英語だけでなく、外国から入ってくる言葉をなにもかもカタカナでひとくくりにしてしまう文化は今に始まったことではありませんが、
これに慣らされているおかげで、どの言葉がどの国の何を表しているのかわからなくなってしまっています。
知らなくても日常生活では困らないのですけど、時と場合によっては知らないと恥ずかしい思いをするかも・・・と思うと、やっぱり知っておきたいなぁと思うのです。

持続可能な社会の実現

さてさて、偉そうなことを書き連ねている僕ではありますが、まだまだ知らないことは沢山あります。
特に疑問なのは、今世の中のありとあらゆるところで使われている Sustainable (サステナブル)という言葉です。
誰もがこの言葉を使っているのに、僕にはちっとも意味がわからないのです。

この Sustainable という言葉は Sustain + able ではありますが、
この Sustain 自動詞で理解するのであれば 持ちこたえるとか耐えるという意味で使えます。
直訳的に考えれば、Sustainable Society とは社会自身が自分で持続できると理解できます。
しかし、社会が自分自身で持続できるのでしょうか?
社会を持続させるのは人間ですよね?

この Sutain と言う言葉、他動詞として理解する場合は持続的に指示するとか継続して支えるという理解ができます。
誰かが何かを継続して支援すると考えるのが正しい理解であると思えますし、だからこそ他動詞なのですが。

もし、テレビや新聞、雑誌などで謳われている Sustainable Society (持続可能な社会)という言葉を理解するとしたら、もしかしたら「社会が自分で持続できる」という意味ではなく、社会が続いていけるように「我々人間が継続して支援していかないといけない」という意味ではないかと僕は考えています。
しかし、TVCMや企業の説明などを見ていると、『将来に渡って人間が安全に暮らしていける地球環境や社会』という言葉に聞こえます。
聞きようによってはそういう地球になってくれるように、そういう社会になってくれるようにしましょうと、半ば地球任せ、社会任せに聞こえるのは僕だけなんでしょうか?

でも本当は、地球も社会も、自分で勝手に持続してくれるわけではありませんから、我々人間が自発的に努力や工夫を続けていかなければいけないわけで、「人間の方が持続、継続して努力する」という言葉を使うべきだと思うのです。
つまり、『持続可能な社会』のような社会が主体となる表現ではなく、
『人間がこれ以上地球環境を壊さないための努力を維持する社会』
というように、人間を主体にしないといけないのではないかと思うのです。
それであれば、上述の他動詞としての Sustain の意味と合致しますし理解もできます。

ですので、
「持続可能な社会の実現」ではなく、「人間が努力を持続する社会」とするのが本来の意味であり正しい表現方法ではないかと・・・。

もし正確なことをご存知の人がいましたら、是非コメントで教えていただけないでしょうか。


何かと知らないことだらけの僕の話、お付き合いありがとうございます。

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