『100ワニ』の商業展開の批判の理由
[要旨]
かつて、ツイッターで公開された、「100日後に死ぬワニ」の最終回が投稿された後、映画化やコラボグッズ製作などのビジネス的な展開が発表されましたが、これに対して、ファンからは批判が起きました。これは、ビジネス的な展開をしようとした会社側が、ファンとの体験価値を共有していなかったことが原因と言えます。
[本文]
PRストラテジストの本田哲也さんのご著書、「ナラティブカンパニー-企業を変革する『物語』の力」を読みました。同書には、タイトルからも分かる通り、ナラティブと言う考え方を経営戦略、事業活動にどう活かすべきかということが書かれていましたので、私が気づいたことについて、ご紹介したいと思います。ただ、ナラティブという考え方は、なかなか簡単には説明が難しい考え方なので、同書に書かれている内容をご紹介しながら、少しずつナラティブについて理解していっていただきたいと思います。
まず、今回は、「100日後に死ぬワニ」に関するエピソードをご紹介したいと思います。「『共体験』の本質とは何かというと、共有されている体験の『価値』だ。このグループ、集団の『共体験』の裏側にある、本質的に共有されている『価値』-何に『価値』を感じて、みんなは集まっているのか、を見間違えたり、そもそも見なかったりすると、失敗するだろう。
それがよくわかる事例が、ツイッターで公開された、『100日後に死ぬワニ(以下、100ワニ)』(作・きうちゆうき)という4コマ漫画作品だ。(中略)連載開始の12月から3月までのファンの広がりは、まさに、『共体験』だ。ファンは、タイトルで死を予告されている主人公のワニのほのぼのとした日常を、毎日、ハラハラドキドキと見守って過ごし、ツイッターに感想を書き込んだりして、それも含めて作品だった。同じ世界観を共有し、強く結びついていたと言ってもいい。(中略)
しかし、連載終了後、それにミソがついてしまった。クライマックスの最終回が投稿されてすぐ、ファンが文字どおり、ワニを看取ってしみじみしている最中に、映画化やコラボグッズ、ポップアップストアのオープンなどのメディアミックス展開が、矢継ぎばやに発表されたのだ。これにファンから批判の声が上がった。批判の内容は、『この作品は、最初から、メディアミックス前提の、仕組まれたものだったのでは」というもの。
組織的には関わっていない広告代理店の関与が噂され、ステマだと炎上してしまったのである。結局のところ、ステマではなかったのだが、この事例の何がいけなかったのかというと、『100ワニ』関係者がファンの『共体験』を壊してしまった点にある。(中略)企業は、その体験価値が何なのか、見極めなければならない。商業的な動きは悪いわけではないが、『100ワニ』関係者は、ファンの『共体験』の輪の中に入っていたら、絶対にやらないことをしてしまった」(50ページ)
私は、この「100ワニ」の事例を読んだとき、別の事例を思い出しました。それは、2004年に起きた、プロ野球再編問題です。これは、オリックスと近鉄の合併構想が発端となり、2リーグ12球団を、1リーグ8~10球団に移そうという球団運営側の構想が浮かび上がって来たものです。これに対し、プロ野球ファンたちの強い反対などがあり、オリックスと近鉄は合併したものの、楽天の参入により、2リーグ12球団体制が維持されました。球団経営側が、1リーグにしようと考えた背景には、球団経営が苦しいという面があり、それについては私も理解できました。
しかし、球団のオーナーたちは、ファンたちの大きな反対を予想していなかったようです。私は、プロ野球の運営者側が、球団数を減らした方がよいという考え方が、100%間違っているとは思いませんが、問題だと思ったことは、オーナーたちとファンたちの意識に大きな差があったことです。「100ワニ」の事例でもそうですが、ビジネス的な発想に基づく活動が、直接的に否定されるものではないものの、ビジネスの対象は、有機的な感情を持った人間であり、それに反発されるようなビジネスを行うことは、センスに欠けるものだと思います。
2023/1/7 No.2215
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