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【横山操】日本画 査定 鑑定 買取 致します


『素描集 横山操』は、1980年8月に講談社から刊行された、横山操の素描作品を集めた画集です。本書には、彼の多彩な素描が収録されており、彼の創作過程や独特の表現技法を垣間見ることができます。

◎横山操の油彩作品

横山操(1920年1月25日生まれ、1973年4月1日没)は、新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)出身の日本画家であり、昭和期を代表する画家の一人です。彼の作品は、煤や石灰などを画面に擦り付け、力強い漆黒と鮮やかな色彩が特徴で、見た目には洋画に近い作風とも言われますが、れっきとした日本画です。

14歳で上京した横山は、当初洋画家を志し、ポスターや看板描きなどで生計を立てながら学びました。しかし、師の勧めで日本画に転向し、川端画学校日本画部の夜間部に入学します。1940年、20歳の時に川端龍子が主宰する青龍社の第12回展に『渡船場』を出品し、入選を果たしました。

その後、召集され中国各地を転戦し、敗戦後はシベリアのカザフスタン・カラガンダの捕虜収容所に抑留され、石炭採掘に従事しました。この抑留地の印象を描いた作品として、1951年の春の青龍展に出品した『カザフスタンの女』があります。

復員後、再び青龍社に所属し、意欲的で大胆かつ豪放な大作を発表しました。1957年には、東京都台東区谷中の五重塔が放火により炎上・消失した後の様子を描いた『塔』を制作しています。1960年、自らの作品を焼却するという行動に出ますが、その頃から『赤富士』の連作が人々の人気を集め、一躍有名画家となりました。

1962年、日本画の新たな表現を目指し、青龍社を脱退。その後、個展やグループ展を中心に作品の発表を重ね、大画面の作品は少なくなりましたが、日本画に根差した伝統的で象徴的な世界を独自に解釈した作風へと転化していきます。この頃描かれた「富士」の絵は、高度経済成長期の力強い日本の象徴として多くの人を魅了しました。また、故郷の新潟に着想を得た風景を叙情豊かに表現しています。

1966年、多摩美術大学日本画科の教授に就任し、加山又造とともに後進の指導にも全力を注ぎました。しかし、1971年に酒の飲みすぎにより脳卒中で倒れ、右半身不随となります。回復後は左手で制作を続け、叙情溢れる色彩豊かな作品や水墨画など意欲に満ちた作品を発表し続けました。1973年4月1日、新作の制作途中に53歳で逝去しました。

横山操の作品は、豪放でありながらも繊細な画風で日本画壇に新風を巻き起こし、その独自の表現は現在も多くの人々に感動を与え続けています。彼の代表作には、『ウォール街』(1962年、東京国立近代美術館蔵)、『グランド・キャニオン』(1961年、新潟市美術館蔵)、『塔』(1957年、東京国立近代美術館蔵)などがあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E6%93%8D#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Yokoyama_Misao_bijutsu-techo_1960173.jpg

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