【西山翠嶂】 日本画 鑑定 買取 致します
◎西山翠嶂の芸術
西山翠嶂(にしやま すいしょう、1879年4月2日生まれ、1958年3月30日没)は、大正から昭和にかけて活躍した日本画家であり、京都画壇を代表する存在として知られています。本名は卯三郎で、京都伏見に生まれました。14歳で竹内栖鳳の門下に入り、日本画を学び始めました。その後、京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸術大学)に進学し、さらに技術を磨きました。
1894年、15歳の時に京都市工芸品展で「箕面瀑布図」が褒状を受賞し、以降、各種展覧会での受賞を重ね、若くして頭角を現しました。特に、同門の西村五雲や橋本関雪とともに、栖鳳門下の俊英として名を馳せました。後に師である竹内栖鳳の娘と結婚し、女婿となっています。
1907年の第1回文展(文部省美術展覧会)に「広寒宮」を出品し、3等賞を受賞しました。その後も文展に出品を続け、「採桑」「落梅」「青田」などの作品で受賞や特選を獲得しました。1919年に帝展(帝国美術院展覧会)が開設されると、審査員に選出され、自作の出品も続けました。帝展期の代表作としては、「春霞」「木槿」「乍晴乍陰」「くらべ馬」「牛買ひ」などがあります。
1929年には帝国美術院会員に推薦され、1937年には帝国芸術院会員となりました。また、京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)で教授や校長を務め、後進の育成にも尽力しました。1921年頃には自身の画塾「青甲社」を設立し、堂本印象、中村大三郎、上村松篁など、多くの優れた画家を輩出しました。
彼の作品は、人物、花鳥、動物、風景など多岐にわたりますが、特に京都由来の円山派や四条派を範とした人物画や動物画に秀でていました。写実を基盤としながらも、抒情性や装飾性を兼ね備えた作風が特徴であり、歴史人物画から抒情的な人物画、さらには動物画や山水画へと作風を展開させました。
1944年には帝室技芸員に任命され、日本画壇の長老として重んじられました。戦後も制作を続け、「黒豹」や「山羊と猿」などの作品を日展に出品しています。また、日展運営会理事や日本芸術院会員選考委員を務め、日本美術界の発展に寄与しました。
これらの功績により、1957年には文化勲章を受章し、翌1958年に心筋梗塞のため京都市東山区の自宅で逝去しました。没後、正三位勲二等旭日重光章が追贈されました。
西山翠嶂の作品は、伝統的な技法と独自の感性が融合したものであり、現在でも多くの美術館や展覧会で鑑賞することができます。彼の芸術は、日本画の伝統を継承しつつ、新たな表現を追求した点で高く評価されています。
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