自己紹介 ー性暴力サバイバーですー

田舎の温泉街に産まれる。家族は、祖母、父母、双子の姉、妹の六人家族。故郷は、ストリップ劇場があり、暴力団や買春が跋扈する野蛮で下品な町だった。

3歳よりピアノを習い始める。ピアノ教師より、苛烈な心理的虐待を受ける。そのせいか?私に向いてなかったのか?ピアノは全然弾けない。でも、聴くのは好き。

幼少時~高校生くらいまで、父からの性暴力を受ける。3歳頃、押し倒されてオーラルセックスされた記憶があり。また、高校生の頃(?)眠っているときにプライベートゾーンを触られた記憶を身体が持っている。身体は、膣に指を出し入れされた記憶も持っている。

幼少時~小学生くらいまで、双子の姉からの性暴力を受ける。しょっちゅう胸を触られていた。愛撫のような気持ち悪い手つきだった。昼寝をしていたら、シャツを脱がされて胸を揉まれた。

小学生から摂食障害(過食症binge→神経性大食症bulimia nervosa→過食症binge)を発症。小学校でイジメを受ける。教師からも暴力を受ける。

中学校でもイジメ継続。教師からの暴力も継続。高嶋という男性教師より頭を叩かれ、酷い痛みを感じる。

中学卒業後、ピアノはやめる。

高校生でもイジメ継続。友人だと私は思っているが実はいじめを受けているという構造で、とても惨めな高校時代だった。虐待環境で育っているので、イジメを受けても愛情表現や日常のことと捉えてしまう。担任教師からもイジメを受ける。

親からはニグレクトで、進路のことで相談にのってくれることはなかった。担任からもイジメられていたので、まともな進路指導は一切なかった。周りに一人も正しい方向に導いてくれる人がいなかった。

大学は上京し、スペイン語を学ぶ。しかし、鬱病、パニック発作、広場恐怖症、摂食障害などで5月頃から行けなくなり、一年留年する。留年後、復帰。

在学中に、複数回、強姦される。自分の中でもまだ整理できておらず、これらの強姦のことは、まだ書けない。

大学卒業。鬱や教授からの心理的虐待で卒論は書けず。

日本のミソジニーや権力勾配、家族からの虐待などで長年苛烈なストレスに晒され、糸が切れてしまいパニックになり、アパートの契約はそのままで職場にも連絡せずに、東南アジアに遁走。

バリ島の The Villas Bali Hotel & Spa で職を得るが、職場の関係者からシンガポールでレイプドラッグで強姦され、職場の上司にはセクハラされ解雇され、失意のままバリ島を去る。(シンガポールでの強姦については、犯人はホテルのマネージャーでした当時。犯人を捜しているので情報求む)

オーストラリアに行きしばらく滞在していたが、そこでも知り合いから強姦される。

オーストラリアから帰国し、実家に降り立つ(どこにも行くところがなかったため)。

引きこもりになる。しばらくして県立病院の精神科の門戸を叩く。

統合失調症、統合失調感情障害と、誤診を受ける。

誤診のため、薬が全く合わず、副作用で不安が増大し、ODして胃洗浄を受ける。医原性トラウマの始まり。

しばらく県立病院に通うが、医師は冷淡で症状を全く理解しておらず、不安を抑えるのにとりあえずベンゾ系を出されるしで散々で、そのうち通わなくなる。

アルバイトをいくつかするが、家庭内で父母、祖母、双子の姉、妹からの心理的虐待は続く。この頃、姉も親からの虐待の影響で精神不安定で、窓から飛び降りようとしたり、壁を蹴って穴をあけたり、近隣の県まで家出して父に電話をして迎えにきてもらったりしていた。

家庭内虐待に耐えかねて、イベントで出会った外国人男性のもとに転がり込む。しかし、その男性も、モラハラ男だった。

コールセンターに勤めたり、外国人に日本語を教えたりする。

モラハラ男から、解離中に性行為をされたり、モラハラ男の友人が私たちの隣で寝ているときに性行為されたりと、散々な虐待が続く。

双子の姉が放火したと連絡が入る。気が動転する。

双子の姉は、部屋にあった父親のジャンパーに放火。実家が全焼する。姉は警察に拘束される。父から性的な目で見られ性的な扱いを受けていたのが動機と警察に話す。警察は父から聞き取りをする。父は断固として否認する。拘束中に姉は明らかな精神症状が出て、精神の施設に移送される。

私、何とか日常生活に戻る。カナダの大学院に行くためにお金を貯め、TOEFLを受け、大学院に願書を受ける。

トロント大学院に合格するが、経済的な理由で断念。

男性が帰国し、私も渡加する。

カナダでは、マギル大学院に入学し、第二言語教育や女性学を学ぶ。

モラハラに耐えかねて、男性と別れる。別れた時に、自分の一部を喪失した感覚になり、希死念慮増大。モントリオール・ジェネラル・ホスピタルに運ばれる。高齢の男性医師より不必要に全裸にされそうになるという性加害を受ける(希死念慮だけで、企図はしていないので服を脱ぐ必要は全くない)。

マギル大学院でアカデミックハラスメントに遭い、四か月で退学(全く身に覚えのない plagiarism でアカハラ教授より非難を受けた)。

お金も無くなり、ホームレス用のシェルターを転々とする。
シェルターに訪問していた医師よりPTSD、大うつ病と診断を受け、Trauma and Recovery by Judith Herman を読むように勧められる。以後、トラウマについて独学を始める。

生活保護や障害者支援プログラムを受給し生活する。

人種差別やホームレスシェルターでのイジメに耐えかねて帰国。

福岡に降り立つ。生活保護に申請するが却下される。

しかたないので、福井に移動。福井で申請後、生活保護がおりた。しかし、家庭訪問時に怒鳴られる、発言を鼻で笑われるなどの虐待が続き、心身不調となる。

近隣の精神科医を受診したが、被害者に対する受容や共感のない質問攻めの問診、カウンセリングと繋げず薬剤だけ処方する治療に、大変混乱する(私がCPTSDについて学び始めたトロントでは、医師からはカウンセリングを受けるように言われた)

東京で小西聖子先生の予約がとれたので診てもらおうとしたが、福祉事務所より福井から東京へ受診する許可が下りなかった。

しかし、福祉事務所職員からのパワハラに耐えかね、アパートから逃げ出し上京。

上京先では、シェアハウスを転々とするが、シェアメイトやオーナーからのイジメでストレス増大。福祉事務所が怖くて生活保護ができなかった。短期のアルバイトや派遣や借り入れで生活する。

その後、関東を転々とし、相模原で生活保護を申請。生活保護が下りたが、福祉事務所のパワハラは相変わらず。

相模原市南福祉事務所の常盤CWより、医療券発行停止などのパワハラを受ける。これをきっかけとして、希死念慮が燃え上がり、再度精神科に通院開始。その後も、常盤CWからは保護廃止などの人権侵害を受ける。

うつ病で障害年金がおりる。この頃、町田まごころクリニックに通院していたが、後見人制度申請の相談をしても必要ないと却下されたり(現主治医は、見立てを保佐人で診断書を書いて下さった)、神田橋処方を希望しても「一部の医師たちがやっていること」と相手にされなかったりと憂き目に遭い、再び医原性トラウマを負う。

身寄りがなく孤独で気が狂いそうだったので、インコと暮らし始める。
アニマルセラピーになっており、少し人間らしい心を取り戻す。しかし、生活保護受給者がペットを飼うことを快く思わない人々がたくさんおり、ネットでインコの写真を投稿することさえも、ひどく気を遣う状況である。

神奈川県ではカウンセリング費用の助成金が下りないため、相模原から練馬に引っ越してくる。東京都の助成金を利用できるようになる。

練馬でも生活保護を受けるが、相変わらず、福祉事務所からの苛烈なパワハラは続く。経済的にもしんどく、保護を受けているにもかかわらず、物価高騰や酷暑の電気代のため、フードバンクを利用する(福祉と繋がってるのにフードバンク利用しないといけないのは、日本の福祉が機能していない証左)。

ケースワーカーが非人道的すぎて怖すぎてコミュニケーション取れないため、裁判所に後見人制度の申し立ての準備中(医師の見立ては被保佐人)。

訪問看護から度々パワハラ・モラハラ、二次加害を受けており寄り添いが無く、支援職への不信感も募っている(例えば、訪看さんに、生活保護受給者への世間からのバッシングについて辛いと話したら、「気の持ちよう」と矮小化・問題のすり替えをされた)。





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