私たちは存外、テキパキしている
noteに投稿したいと思えるようなことを思い付いた時、スマホなどにメモをするようにしている方は結構いるのではないだろうか。
そしてこんな経験をしたことがないだろうか。
シャワーを浴びているとき、ふと面白いことが思いつき、投稿しようと、それを頭から離さぬようと必死に脳みそにストレスをかけながらも、身体を拭き、髪を乾かし、化粧水をつけるという一連の流れをこなしているうちに、先ほど思いついたアイデアが希釈されてしまい、いざメモしようとスマホにフリック入力しだすと、なかなかはかどらない、、、という経験。
こんな風に、メモするにしても、すぐにメモできるような状況でないと、記憶があいまいになってしまい、
「忘れるスピード>フリック入力するスピード」
という不等式が成り立ってしまう。
数多くの、すばらしいエッセイたちが、「ちょっとメモするのが遅れたから」というしょうもない理由で、この世から消えてしまっているに違いない。
そこで私はある画期的な方法を試してみた。それは、録音する、という方法だ。
そんなのみんなやってるよ、全然画期的じゃないわ、などとは言わないでほしい。空虚な気持ちになっちゃう。
これが意外と効果的で、フリック入力と録音では、スピードが全然違う。録音のほうが圧倒的に速いので、
「忘れるスピード<録音するスピード」
という不等式が成り立ち、思いついたことを逃さずに済む。
本題だ。録音したものを聞いてみた。
自分の声というのは気持ち悪いので、不快だなあとか思いながら聞いていたのだが、声に紛れて、
「カチャカチャ、シュッシュッシュッシュッ、、、」
という音が聞こえた。
(あー化粧水かけてんな)
ここでふと思ったことがある。
(あれ、なんか、テキパキしてんな。)
心底どうでもいい所見であることは認める。しかし、自分の生活音を聞くというのは、よくよく考えたら人生初の出来事であったため、かなり新鮮に感じたのだ。
そして、「最近ダラダラ生きてしまっているなー」と自分では感じていても、存外、私たちは、テキパキと生きていたりもするのだなという思考に至ったのだ。
こんな風に、録音によって新たな発見をしたり、自己肯定感を高めたりできるかもしれない。
ひょっとしたら、今悩んでいることを解決するための糸口が見つかるかもしれない。モテない理由が見つかるかもしれない。仕事がはかどらない理由が見つかるかもしれない。
くだらないと卑下してしまいがちな、単調な「生活」を、大切にしようと思えるかもしれない。
客観的に自分を見る(というか、聞く、なのだけれども)ことでこういった良いことが起こる可能性があるんじゃないか。そう思ったのである。
よくよく考えてみたら、録音というのは自分を客観的に見るための、数少ない方法なのではないか。
メモ代わりになるわ、客観的に己を見れるわ、一石二鳥の、「録音」。
ゲン担ぎ的な感覚で一度やってみたらいかがだろうか。
なんかいいこと、あるかもよ。
ゴソノギ__国立医学生の日常
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