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自分の振り返り用として長年アウトプットしている記事では「似て非なる言葉」がシリーズ化してきたようにも思うが、今日も一つ。 先日クライアント先での定例会議で、社長がプロジェクトチームのメンバーに諭していた言葉にこういうものがあった。 「同業他社が実施している良いなと思うものを真似ることをして構わない。むしろ参考になるものは積極的に真似ることで、自分達のクオリティも高めて行こう!」 チームで今挑んでいる事の経緯からすると、良いタイミングでのお声がけだったので、組織の文化形成
知足という言葉が出てくる経緯「知足」…つまり「足るを知る」という言葉だ。 最初に、この言葉がなぜボクの日々の仕事で出てくる言葉なのかを、簡単に説明しておくことにする。 「知識」は、誰が答えても同じ答えになる。 「知性」は、人によって答えが違うもので構わない。 「知識」に、人によって違う「主体性」や「感性」が掛け合わさるものが「知性」だと個人的に考えているからだ。 まず、それを踏まえた上で、日々の仕事の話を絡めてみよう。 価格競争に巻き込まれない事業体質・出逢いたい顧客に
「資産家の家系に生まれていたら不労所得で楽に暮らせていたのにな~」 呑みの席などでこういうボヤキが出てくると「出たなっ、ショッカー!」と仮面ライダー本郷猛が身構える時のように「タラればボヤキ怪人」の出現を残念に思う。 このシチュエーションの時は、決まってこの一言で返す。 「そんな考えの人なら、資産を継いだところで廃れる一方だな。」 こういう返しは厳しいようで「ちょっとした酒の肴としての話題提供じゃないか」と怪訝な顔をされる。 そもそも、そういう人は日頃から自分の主体性を
「なんとかしたい」を「どうやる」に変える 「いつか」を「いまから」に変える 「不安や願望」を「勇気や実現」に変える 「仕事をする」ということは、上記の三つのような状態を未来のあたりまえに変えて、生活者の暮らしに、素適な変容をもたらす「価値を創る」ことだと、ボクらは考えている。 また、そうした仕事にボクらが関わるからには、その価値創造のプロセスとアウトプットは、顧客と自分自身の「民度」が上がる行動環境となるものにしたい。(誰の民度も上がらない事案には、そもそも関心が湧かな